また、同年冬には、1998年以来8年ぶりとなる日本公演も実現した。2006年4月4日に横浜・ 日産スタジアム で予定されていた公演はU2側の事情により延期され、その振替公演として11月29日、30日、12月4日の3公演が さいたまスーパーアリーナ で行われた 。 来日時の11月29日には、ボノが首相官邸を訪れ、 安倍晋三 首相を表敬訪問した。ボノは安倍首相にサングラスを贈呈し、アフリカの感染症問題に対する日本の貢献を高く評価するとともに、今後も日本が世界をリードしていくことへの期待を示した 。 また、ボノはTBS系報道番組『 筑紫哲也 NEWS23 』にも出演してインタビューを受け、12月1日にはU2としてテレビ朝日系音楽番組『 ミュージックステーション 』に出演した 。 『ミュージックステーション』では「ヴァーティゴ」と「 ウインド・イン・ザ・スカイズ 」を披露し、後者はU2にとって日本で初めてライブ演奏された 。
こうした制作上の問題は、アルバムに伴うポップマート・ツアーにも影響を及ぼした。1997年4月にラスベガスから始まった同ツアーでは、巨大なLEDスクリーン、黄金色のアーチ、巨大なレモン型のミラーボールなど、それまでのU2のステージをさらに上回る大規模なセットが導入された。これらは大量消費社会や企業文化を戯画化したもので、ツアーそのものがU2の1990年代におけるアイロニーと視覚的な過剰さを象徴するものとなった。一方、アルバム制作とツアー準備が並行して進められたことで、バンドは十分なリハーサル期間を確保できなかった。ツアー序盤では新曲の複雑なアレンジをライブで再現することに苦戦し、巨大なステージ装置を用いた演出にもトラブルが発生した。こうした状況から、ポップマート・ツアーはその巨大なスケールと斬新な演出が評価される一方、「過剰なスペクタクル」として批判を受けることにもなった 。
しかし、制作は当初の予定どおりには進まなかった。ラリー・が背中の手術のため一時的に制作から離れたこともあり、U2はサンプリングやドラム・ループなど、それまで以上に電子的な手法を取り入れることになった。さらに、アルバムの完成前に翌年の ポップマート・ツアー の日程を決定し、チケットの販売まで開始していたため、制作は厳しいスケジュールに追われることになった。結果として、アルバムは十分な時間をかけて完成させることができないまま、1997年3月にリリースされた 。
1990年代のエレクトロニック・ミュージックやクラブ・カルチャーから影響を受けたU2は、 1997年 にリリースした9作目のアルバム『 ポップ 』で、ロックとダンス・ミュージックをさらに融合させた新たなサウンドを追求した。制作には、フラッドのほか、 ネリー・フーパー や ハウイー・B ( 英語版 ) ら当時のエレクトロニック・ミュージック・シーンで活動していたプロデューサーやDJも参加した。ボノが語った「ゴミの山の下から赤子のイエスを探し出す」という発想に象徴されるように、本作ではキッチュなポップ・カルチャーや大量消費社会の表層と、その背後にある精神的な欲求を結びつけることが試みられた 。
また 1996年 には、ラリーとアダムが、映画『 ミッション:インポッシブル 』のテーマ曲をダンス・ミュージックとして再構築した「ミッション・インポッシブルのテーマ」を発表した。U2のリズム隊である2人を中心に制作されたこの作品は、エレクトロニック・ミュージックを取り入れたアプローチによって新たな方向性を示した 。
その一方で、U2はイーノとの共同制作をさらに発展させていった。その成果として1995年11月に発表されたのが、U2とイーノを中心とするプロジェクト「パッセンジャーズ」名義のアルバム『 オリジナル・サウンドトラックス1 』である。本作は「実在しない映画のためのサウンドトラック」をコンセプトに、アンビエント・ミュージックや電子音楽、実験的なサウンドを取り入れた作品となった 。
この時期には、映画音楽を通じた新たな試みも行われた。 1995年 には、映画『 バットマン フォーエヴァー 』のために「 ホールド・ミー、スリル・ミー、キス・ミー、キル・ミー 」をU2名義で発表。歪んだギター・サウンドとストリングスを組み合わせたグラム・ロック調の楽曲で、ボノがZoo TVで演じたキャラクター、ザ・フライやマクフィストをモチーフにしたアニメーション・ミュージック・ビデオも話題となった。楽曲は全米・全英をはじめ各国のチャートで上位に入り、世界的なヒットを記録した 。
一方、Zoo TVツアーのヨーロッパ・レグに向けたプロモーション用EPとして制作が始まったプロジェクトは、創作意欲の高まりによってフル・アルバムへと発展し、1993年7月に8作目のアルバム『 ZOOROPA 』としてリリースされた。約2年間に及ぶツアーの合間を縫って短期間で制作された本作では、フラッドとイーノに加え、エッジもプロデューサーとして大きく関与した。前作『アクトン・ベイビー』で打ち出したエレクトロニック・ミュージックやダンス・ミュージックの要素をさらに推し進め、情報過多の現代社会を風刺した「 ナム 」、テクノやダンス・ミュージックの要素を取り入れた「 レモン 」、カントリー歌手 ジョニー・キャッシュ をリード・ボーカルに迎えた「 ザ・ワンダラー 」など、実験性の高い楽曲を収録している。本作は 第36回グラミー賞 で「最優秀オルタナティヴ・ミュージック・アルバム賞」を受賞し、U2の音楽的な変貌を象徴する作品となった 。
その後、シンディが脱退したものの、 1992年 に前作と同じくナイル・ロジャースとドン・ウォズのプロデュースにより、アルバム『グッド・スタッフ』を発表。 1994年 には映画『 フリントストーン 』のテーマ曲を手がけた。映画本編にもネオ原始人のふん装で登場し、The B-52’sならぬ、The BC-52’sとして大ヒットを記録。
こうして 1991年 11月19日 にリリースされた7作目のアルバム『 アクトン・ベイビー 』は、従来のU2の音楽性から大きく方向転換し、エレクトロニック・ミュージックやダンス・ミュージックの要素を取り入れた作品となった。アルバムは商業的・批評的に高い評価を受け、U2の新たな音楽的方向性を示す作品となった 。