dance-rock

2005
U2 さらに、このツアーの期間中には、音楽を通じた社会的・政治的活動も大きな注目を集めた。2005年7月、アフリカの貧困問題への関心を高めるため世

さらに、このツアーの期間中には、音楽を通じた社会的・政治的活動も大きな注目を集めた。2005年7月、アフリカの貧困問題への関心を高めるため世界各地で開催されたチャリティー・コンサート Live 8 にU2が出演。ロンドンの ハイド・パーク 公演では、 ポール・マッカートニ ーとともに「 サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド 」を演奏し、そのまま「ビューティフル・デイ」へとつなぐオープニングを披露した 。

フランツ・フェルディナンド (バンド) 全英1位を獲得

翌 2005年 リリースの2nd『ユー・クッド・ハヴ・イット・ソー・マッチ・ベター』は初登場で全英1位を獲得し、同作からカットされた「 ドゥ・ユー・ウォント・トゥ 」、「ザ・フォーラン」といったキラー・チューンのシングルヒットも続き、ロック/クラブ双方のリスナーからも支持され、人気を確実なものとした。今では 2000年代 にデビューしたバンドでも、とりわけ同時代のUKロックシーンを代表するバンドのひとつとして認められる存在である。

2004
U2 先行シングルの「 ヴァーティゴ 」は、 アップル社 とのタイアップによって世界規模で展開された iPod

先行シングルの「 ヴァーティゴ 」は、 アップル社 とのタイアップによって世界規模で展開された iPod のテレビCMに使用され、楽曲の世界的な認知度を一気に高めた 。イギリスでは、デジタル・ダウンロードの売上がフィジカル・シングルを上回った2004年、その年の末に発売されたにもかかわらず年間ベストセラー・トラックとなった。さらに、ダウンロード・チャートと全英シングル・チャートの双方で1位を獲得する大ヒットとなった。さらに2005年のグラミー賞では「最優秀ロック・パフォーマンス(デュオ/グループ)」「最優秀ロック・ソング」「最優秀短編ミュージック・ビデオ」の3部門を受賞した 。 さらに、「 サムタイムズ・ユー・キャント・メイク・イット・オン・ユア・オウン 」もイギリスで1位を獲得し、U2のアルバムから2曲のシングルがともに全英1位を記録したのはこれが初めてだった 。アルバム自体も世界的な大ヒットとなり、34か国で初登場1位を記録。最終的に世界で1,000万枚を売り上げ、前作に続くU2の商業的復活を決定的なものにした 。

フランツ・フェルディナンド (バンド) デビュー・アルバム

2004年 に発表したデビュー・アルバム『フランツ・フェルディナンド』は本国 イギリス のみならず ヨーロッパ 各国、そして アメリカ でも爆発的な評判を呼ぶ作品となり、トータルセールスは400万枚を超え、 グラミー賞 ノミネートを始め、 ブリット・アワード ・ マーキュリープライズ ・NMEアワードという英国3大音楽賞を新人としては史上初めて同時に受賞する快挙も達成。

2002
U2 こうしたU2とアメリカ社会との精神的な結びつきが、一つの頂点に達したのが、2002年2月にニューオーリンズで開催された

こうしたU2とアメリカ社会との精神的な結びつきが、一つの頂点に達したのが、2002年2月にニューオーリンズで開催された 第36回スーパーボウル のハーフタイムショーだった。U2は「 MLK 」から「 ホエア・ザ・ストリーツ・ハヴ・ノー・ネイム 」へと演奏をつなぎ、その背後に設置された巨大なスクリーンには、9.11の犠牲者の名前が次々と映し出された。演奏の終盤、ボノがジャケットを開いて、その裏地に縫い付けられた星条旗を見せる場面は、このパフォーマンスを象徴する瞬間となった 。

2001
フランツ・フェルディナンド (バンド) バンドを結成

同郷 グラスゴー のアート系大学の同期であったアレックスとボブ(アレックスが音楽仲間からベースを譲り受けたのがきっかけで 画家 志望だったボブを説得した)が中心となり、「女の子が踊れるような音楽を作る」という理想のもと、ドラマーに以前アレックスと The Yummy Fur ( 英語版 ) と言うバンドを組んでいたポール・トムソン(The Yummy Furでもドラムを担当していたが、この時はギタリストとして加入させるつもりだった。)ギタリストにKamerakinoという ジャズ・フュージョン バンドでプレイしていたニコラス・マッカーシー(この時マッカーシーはドラムが叩けると嘘をついて加入したと言う。その後トムソンとパートを交換するという形でギタリストになった。)を迎え。 2001年 にバンドを結成。そのまま学内や地元の パブ などで演奏を始め、コツコツとスコットランドのインディ・シーンで活動を開始。ほどなく「ダーツ・オヴ・プレジャー」がインディ・ファンから注目を集めると、その直後に発表されたシングル「テイク・ミー・アウト」が爆発的な反響を呼び、アルバム・デビュー前にもかかわらず、 NME 誌を中心にメディアが挙って彼らを取り上げ、大型新人として全英の注目を集めた。

U2 続く エレヴェイション・ツアー

続く エレヴェイション・ツアー では、ポップマート・ツアーの大掛かりな舞台装置から一転し、アリーナを中心とした、より観客との距離が近いステージを選択した。巨大な多層スクリーンを廃し、観客を取り囲むようにハート型の花道を設けたシンプルな舞台構成によって、ボノやエッジが客席の間近まで移動できる親密な空間を作り上げた。2001年3月から12月までに全113公演を行い、約218万人を動員。興行収入は約1億4,350万ドルに達し、同年の世界ツアー興行収入で1位を記録した 。

U2 そして、そのツアーの最中にあたる2001年9月11日、 アメリカ同時多発テロ事件

そして、そのツアーの最中にあたる2001年9月11日、 アメリカ同時多発テロ事件 が発生する。U2は北米ツアーを続行するべきか深く葛藤したが、最終的には「今こそ音楽が果たすべき役割がある」と判断し、ツアーを再開した。テロによって深い悲しみと喪失感に包まれたアメリカでは、本作に収録された「ビューティフル・デイ」「 ウォーク・オン 」「 ピース・オン・アース 」などのU2の楽曲は、単なるロック・アンセムを超え、喪失と希望を共有するための祈りのような意味を帯びていった 。

2000
U2 ミリオンダラー・ホテル

その転換期にあたる 2000年 初頭、ボノが原案を手掛け、 ヴィム・ヴェンダース が監督した映画『 ミリオンダラー・ホテル 』が公開され、そのサウンドトラックも発表された。ここには、 サルマン・ラシュディ の詩をもとにした「 ザ・グラウンド・ビニース・ハー・フィート 」などU2名義の楽曲が収録されたほか、ボノがイーノやラノワらと結成した特別編成によるアンビエント色の強い楽曲も収められている。まさに、90年代に追求してきた実験路線の総決算ともいえる作品だった 。

1998
B-52's 1998年

1998年 にはシンディが復帰し、ベスト盤『タイム・カプセル~ベスト・オブ・B-52’S』のために2曲の新曲をレコーディング、また全米ツアーも大成功のうちに終わらせている。 1999年 には、ケイト・ピアソンが、 プラスチックス の 佐久間正英 、 JUDY AND MARY の YUKI 、 ジャパン の ミック・カーン らと ユニット 「 NiNa 」を結成し、アルバム『NiNa』を発表する。