dance-rock

1991
U2 こうして 1991年 11月19日 にリリースされた7作目のアルバム『 アクトン・ベイビー

こうして 1991年 11月19日 にリリースされた7作目のアルバム『 アクトン・ベイビー 』は、従来のU2の音楽性から大きく方向転換し、エレクトロニック・ミュージックやダンス・ミュージックの要素を取り入れた作品となった。アルバムは商業的・批評的に高い評価を受け、U2の新たな音楽的方向性を示す作品となった 。

1990
U2 このように、『ポップ』は、1990年代にU2が追求してきたエレクトロニック・ミュージックやクラブ・カルチャー、アイロニーをさらに推し進めた作

このように、『ポップ』は、1990年代にU2が追求してきたエレクトロニック・ミュージックやクラブ・カルチャー、アイロニーをさらに推し進めた作品だったが、同時にそのアプローチが抱える限界も明らかにした。ツアーを終えたU2は、次作の制作にあたって再びバンド本来のロック・サウンドを重視する方向へと転換していく 。

U2 1990年代におけるエレクトロニックな実験とアイロニーの極致ともいえる『ポップ』を経て、U2はテクノロジーへの依存や、皮肉と虚構をまとったキ

1990年代におけるエレクトロニックな実験とアイロニーの極致ともいえる『ポップ』を経て、U2はテクノロジーへの依存や、皮肉と虚構をまとったキャラクターから距離を置き、もう一度バンドとしての自分たちを取り戻そうとした 。

U2 『 ザ・ベスト・オブU2 1990-2000 』(2002年)に収録された「 エレクトリカル・ストーム

『 ザ・ベスト・オブU2 1990-2000 』(2002年)に収録された「 エレクトリカル・ストーム 」「ザ・ハンズ・ザット・ビルト・アメリカ」(マーチン・スコセッシ監督『 ギャング・オブ・ニューヨーク 』の主題歌)を経て、2004年11月にリリースされた『 原子爆弾解体新書〜ハウ・トゥ・ディスマントル・アン・アトミック・ボム 』は、スティーヴ・リリーホワイトら初期U2を支えたプロデューサー陣を再び制作に迎え、さらにストレートなロックンロールを追求した作品となった。ボノが「U2にとって初めてのロック・アルバム」と表現したように、本作では前作で始まった原点回帰の方向性をさらに押し進め、エッジのギターを前面に据えた力強くシンプルなバンド・サウンドを追求していた 。

1988
U2 1988年3月2日に開催された第30回グラミー賞では、『ヨシュア・トゥリー』が「最優秀アルバム賞」を受賞。さらに「最優秀ロック・パフォーマン

1988年3月2日に開催された第30回グラミー賞では、『ヨシュア・トゥリー』が「最優秀アルバム賞」を受賞。さらに「最優秀ロック・パフォーマンス(デュオ/グループ・ヴォーカル)」も受賞し、U2はこの2部門で初のグラミー賞を獲得した。 最優秀アルバム賞では、 マイケル・ジャクソン の『 バッド 』、 プリンス の『 サイン・オブ・ザ・タイムズ 』などを抑えての受賞だった 。

B-52's 1988年 、音楽活動を再開し、翌 1989年 に リプリーズ・レコード へ移籍。同年 ナイル・ロジャース と ドン・ウォズ

1988年 、音楽活動を再開し、翌 1989年 に リプリーズ・レコード へ移籍。同年 ナイル・ロジャース と ドン・ウォズ のプロデュースによるアルバム『コズミック・シング』を発表。シングル・カットされた「 ラヴ・シャック 」「ローム」が大ヒット。「 デッドビート・クラブ 」もヒットした。以降はアメリカでも人気が定着。 1991年 にはケイト・ピアソンが同じアセンズ出身のバンドである R.E.M. のアルバム『 アウト・オブ・タイム 』に参加、こちらも大ヒットを記録する。

U2 『ヨシュア・トゥリー』の爆発的な成功を受け、熱狂的な全米ツアーを敢行中のU2は、アメリカン・ルーツ・ミュージックへの探求をさらに推し進めた。

『ヨシュア・トゥリー』の爆発的な成功を受け、熱狂的な全米ツアーを敢行中のU2は、アメリカン・ルーツ・ミュージックへの探求をさらに推し進めた。その探求の延長線上に生まれたのが、 1988年 10月10日 にリリースされた『 魂の叫び 』である。本作には「 ディザイアー 」「 エンジェル・オブ・ハーレム 」「 ラヴ・カムズ・トゥ・タウン 」など、アメリカ音楽への傾倒を直接的に示す楽曲が収録され、 B.B.キング 、ボブ・ディラン、ザ・メンフィス・ソウル・チルドレンらとの共演も実現した 。

1987
U2 こうしたアメリカン・ルーツ・ミュージックへの探求と、アイルランドの伝統音楽の要素、さらにはアメリカという国が抱える「理想の神話と冷酷な現実」

こうしたアメリカン・ルーツ・ミュージックへの探求と、アイルランドの伝統音楽の要素、さらにはアメリカという国が抱える「理想の神話と冷酷な現実」に対するボノの政治的・文学的な関心が一つに結実したのが、 1987年 3月9日 に発表された5作目のアルバム『 ヨシュア・トゥリー 』である。前作に引き続きブライアン・イーノとダニエル・ラノワをプロデューサーに迎えた本作は、彼らのトレードマークであったヨーロッパ的でアンビエントな音響空間に、アメリカ音楽のアーシーな土臭さを見事に融合させた傑作となった 。

1986
U2 同年、ボノは南アフリカの アパルトヘイト に反対するプロジェクト、 サン・シティ にも参加 。さらに 1986年

同年、ボノは南アフリカの アパルトヘイト に反対するプロジェクト、 サン・シティ にも参加 。さらに 1986年 5月には、アイルランドの深刻な失業問題に対抗するためのチャリティ・イベント、 セルフ・エイド ( 英語版 ) にバンドとして出演し、失意の底にあった母国の若者たちを力強い演奏で鼓舞した 。

U2 また、アメリカの伝統音楽に深く惹かれる一方で、ボノは自分たち自身の母国のルーツにも目を向けた。1986年には、アイルランドの伝統音楽グループ

また、アメリカの伝統音楽に深く惹かれる一方で、ボノは自分たち自身の母国のルーツにも目を向けた。1986年には、アイルランドの伝統音楽グループである クラナド の楽曲「 イン・ア・ライフタイム 」にゲストボーカルとして参加。この共演を通じて、彼はアイルランド音楽が持つ特有の哀愁や、ケルト的な神秘の響きを深く吸収していった 。