次作『ストレングス』(1991年)は全米143位に達し 、収録曲「タイム・トゥ・レット・ユー・ゴー」は、 ワイルドハーツ 「アンセム」(1997年、シングル)や ポール・ギルバート 『ポール・ザ・ヤング・デュード〜ベスト・オブ・ポール・ギルバート+ギルバート・ホテル』(2003年)でカヴァーされた。しかし、その後バンドはアトコとの契約を失う。
1990年、 グラミー賞 で「ジェイニーズ・ガット・ア・ガン」が「ベスト・ロック・パフォーマンス」を受賞 。 MTV Video Music Awards でも「ヴューワーズ・チョイス」などを受賞 。同年9月には日本ツアーを開催。
1989年9月、10thアルバム『 パンプ 』を発表。全米チャート5位(Billboard 200)を記録し、売り上げにおいては、米国だけで700万枚、世界で1100万枚を超える大ヒット作となる。また「エレヴェイター・ラブ」、「ジェイニーズ・ガット・ア・ガン」、「アザー・サイド」、「ホワット・イット・テイクス」のシングルもヒットした。また、12年ぶりとなるヨーロッパツアーや初のオーストラリアツアーも行われた。
1989年に発売されたセルフタイトルのセカンドアルバム『 プライマル・スクリーム 』は、 ガレージ・ロック 色の濃いアルバムとなった 。このアルバムはインディチャートでトップとなるが、チャートからは4週間で姿を消した 。後年、クリエイションのプレス担当を務めたジェフ・バレット は「誰からも受け入れられなかった。まったく誰からも」と、当時の状況を振り返った 。好意的な記事は『 メロディ・メイカー 』誌に僅かに載る程度に終わり、最終的にバレットはクリエイションを解雇された 。彼はプライマル・スクリームとの関係を継続させてくれるよう懇願したが、マッギーはそれを受け入れなかった 。
1987年8月、プロデューサーに ブルース・フェアバーン を迎えた9thアルバム『 パーマネント・ヴァケイション 』発表。全米チャート11位(Billboard 200)を記録し、「エンジェル」、「ラグ・ドール」のシングルもヒットした。翌1988年6月には11年ぶりとなる日本ツアーを行った。
1人グラスゴーに残されたギレスピーは、友人の ジム・ビーティ とプライマル・スクリームを結成した。彼らが作った「エレメンタル・ノイズ・テープス」なるデモテープは、ギレスピーがゴミ箱を叩き、そこにビーティがファズ・ギターを乗せていた 。ギレスピーは1987年に ブライトン に移住するまでグラスゴーを拠点にしていたが、1983年にはリヴィング・ルームに度々出演するようになっていた 。プライマル・スクリームは、1984年10月に正式な初ライブを行った。「アイロニカルだけど、 パブリック・イメージ・リミテッド みたい」マッギー曰くこの頃のバンドは、 ポストパンク 的なスタイルを取り入れていた 。
1987年、プライマル・スクリームは、マッギーが ワーナー と共同出資して設立した エレヴェイション・レコーズ からファーストアルバム『 ソニック・フラワー・グルーヴ 』を発売した。作中の何曲かには、後に正式メンバーとなる フェルト のキーボーディスト、 マーティン・ダフィ が参加した。 バーミンガム 出身のこのキーボーディストには、ギレスピーと同じく労働組合幹部の父がいた 。元 レッド・クレイオラ のメイヨ・トンプソンがプロデュースしたこのアルバムは、メディアの高い評価とは裏腹に商業的な成功は収められなかった 。ワーナーから契約を破棄されたバンドはクリエイションに復帰し、12000ポンドのレコーディング費用を受け取り、次のアルバム制作に取り掛かった 。ファーストアルバムでギレスピーと共にバンドの中核を担ったビーティはすでにバンドを離れていた。ビーティ脱退後、ヤングがベースからギターへ転向し、ビーティ、ギレスピーの連名だったソングクレジットは、全てギレスピー、イネス、ヤングの連名へと変わった。
1986年、 Run-D.M.C. が「ウォーク・ディス・ウェイ」をカバー。スティーヴンとジョーがレコーディングに参加し ミュージック・ビデオ にも出演した。このシングルは全米チャート4位(Billboard Hot 100)のヒットとなり 、エアロスミスが音楽シーンにカム・バックしていくきっかけになった。
1985年11月、プロデューサーに テッド・テンプルマン を迎えた8thアルバム『 ダン・ウィズ・ミラーズ 』を発表。
1984年、バンドはマッギー率いるクリエイション・レコーズと契約し、ビーティが作り出す12弦ギターの音色が特徴的な「オール・フォール・ダウン」、「クリスタル・クレッセント」というシングル2枚を発売した 。シングルのレビューには、しばし ザ・バーズ 、 スモール・フェイセズ などが引き合いに出され、2枚目のシングル「クリスタル・クレッセント」のB面に収録された「ヴェロシティ・ガール」は、『 ニュー・ミュージカル・エクスプレス 』(NME)誌が付録につけた『 C86 』というカセットテープの1曲目に収録され、ささやかな注目を浴びた 。 ザ・ストーン・ローゼズ の ジョン・スクワイア は、後にこの頃のプライマル・スクリームのスタイルが彼らのファーストアルバムの青写真になったことを話している 。ローゼズのヒット曲「メイド・オブ・ストーン」が「ヴェロシティ・ガール」と酷似していることも周知の事実だ 。1986年にはボーカルにギレスピー、ギターにビーティとイネス、ベースにヤングというラインナップが揃った。