blues rock

1995
マッド・シーズン バンドは活動休止前の1995年の春期までコンサートを続けていたため、メンバー達はメインのバンドの活動に戻ることができた

バンドは活動休止前の1995年の春期までコンサートを続けていたため、メンバー達はメインのバンドの活動に戻ることができた 。この時期に、1995年4月29日にシアトルのムーア・シアターで収録されたライブの模様を収めた『Live at the Moore』がVHSでリリースされた。同時期にジョン・レノンのトリビュート・アルバムである『Working Class Hero(邦題: 労働者階級の英雄 )』に、ジョン・レノンの「I Don’t Wanna Be a Soldier(邦題: 兵隊にはなりたくない )」のカバー曲を提供している。1996年に「River of Deceit」のライブバージョンがコンピレーション・アルバムの『Bite Back: Live at Crocodile Cafe』で世に出たが、この時にはすでにマッド・シーズンは長らく休止状態であったためマクレディとマーティンはそれぞれのバンドでの活動に戻り、ソーンダースはザ・ウォークアバウツに加入した 。

1994
プライマル・スクリーム 70年代中期のローリング・ストーンズを模倣したような内容の『 ギヴ・アウト・バット・ドント・ギヴ・アップ 』は、1994年3月に発売された

70年代中期のローリング・ストーンズを模倣したような内容の『 ギヴ・アウト・バット・ドント・ギヴ・アップ 』は、1994年3月に発売された 。復帰したバレットの尽力もあって発売前に批判的なレビューは一切出ず、「ロックス」というヒットシングルも生まれた 。しかしアルバムには発売後から「オーバープロデュース」、「期待はずれ」などの不満があちこちから噴出し 、ギレスピーも「ほんの数曲以外は全部駄曲」と述べ、失敗作であることを暗に認めた 。プロデューサーのダウドは酷くギレスピーを落ち込ませてしまったらしく、彼はこの後の3年間レコーディングされたどの曲も歌おうとしなかった 。なおこのアルバムからクリエイションは ソニー・ミュージック の傘下に入った。

マッド・シーズン 1994年発表のパール・ジャムのアルバム『Vitalogy(邦題: バイタロジー(生命学)

1994年発表のパール・ジャムのアルバム『Vitalogy(邦題: バイタロジー(生命学) )』の制作期間中に、当該バンドのギタリストであるマイク・マクレディは ミネソタ州 のHazeldenクリニックのドラッグ・アルコールのリハビリ施設に入り、そこでベーシストのジョン・ベイカー・ソーンダースと出会う 。二人は1994年に ワシントン州 シアトル に戻り、ドラマーのバレット・マーティンを迎えてサイド・バンドを結成した。マクレディはパール・ジャムや テンプル・オブ・ザ・ドッグ といったバンドでプレイし、マーティンは スキン・ヤード およびスクリーミング・トゥリーズ、そしてソーンダースはLittle Pat Rushing、 ヒューバート・サムリン 、Sammy FenderおよびThe Lamont Cranston Bandのような ブルース の面々と共に活動していた 。3人はすぐにリハーサルをおこない、後に『Above』に収録される「Wake Up(邦題:ウェイク・アップ(覚醒))」と「River of Deceit」の2曲を書いた。それからマクレディは友人でアリス・イン・チェインズのフロントマンであるレイン・ステイリーをラインアップに加え、これでバンドの主要メンバーが揃うこととなった。これは、マクレディがしらふ(中毒者でない)のミュージシャンとステイリーが活動を共にすることにより、ステイリー自身もしらふになることを願ってのことであった 。

マッド・シーズン シングル曲が完成していない(マーティンによると、曲の序盤のみ)うえにバンド名さえ決まっていないにもかかわらず、マクレディは1994年10月1

シングル曲が完成していない(マーティンによると、曲の序盤のみ)うえにバンド名さえ決まっていないにもかかわらず、マクレディは1994年10月12日にクロコダイル・カフェにて予告無しでショーをする予定を入れ、それは大きな成功へとつながった 。アルバムに収められている「Artificial Red(邦題:アーティフィシャル・レッド(作為の赤) )」はこのショーをプレイする中で形を成した曲である。同会場で更に2回のコンサート(1994年11月6日と20日)が予定され 、彼らは自らを「The Gacy Bunch」と名乗った。”Gacy”は悪名高いシカゴの連続殺人犯のJohn Wayne Gacy(ジョン・ウェイン・ゲイシー)から取り、”Bunch”は1970年代のシチュエーション・コメディである「The Brady Bunch( ゆかいなブレディー家 )」から取ったものである 。1995年1月8日、バンドはパール・ジャムのラジオの衛星放送であるSelf-Pollutionに出演し、「Lifeless Dead(邦題:ライフレス・デッド(生気なき死者)」および「I Don’t Know Anything(邦題:アイ・ドント・ノウ・エニシング(意識不明))」を披露している 。これはシアトルからの4時間半に渡る海賊版のラジオ番組(合法である)で、希望すればどのラジオ局でも放送することが可能であった 。この2曲のパフォーマンスの模様は2013年3月に発売された『Above』のボックス・セットのDVDで視聴することができる。

イナフ・ズナフ 残された ドニー・ヴィー とチップ・ズナフの2人は、チップ&ドニー名義のアルバム『ブラザーズ』(1994年)を、日本の アポロン から発表

残された ドニー・ヴィー とチップ・ズナフの2人は、チップ&ドニー名義のアルバム『ブラザーズ』(1994年)を、日本の アポロン から発表 。同作は、本国アメリカではしばらく発表されなかったが、 1997年 には ボーナス・トラック を追加して、イナフ・ズナフ名義のアルバム『Seven』としてアメリカ発売された。また、イナフ・ズナフのメジャー・デビュー前の音源を収録した『1985』(1994年)も発表。

1993
エアロスミス 1993年、1度レコーディングしていた曲を聴き込み、それらの曲を一旦破棄し、改めて制作した楽曲をレコーディングするなどして熟考を重ねた、11

1993年、1度レコーディングしていた曲を聴き込み、それらの曲を一旦破棄し、改めて制作した楽曲をレコーディングするなどして熟考を重ねた、11thアルバム『 ゲット・ア・グリップ 』を発表。バンド初の全米チャート1位(Billboard 200)を獲得し、世界中のメインチャートでもTOP3入り(スイス1位、イギリス2位、オランダ2位、オーストリア3位、ドイツ3位、オーストラリア3位等)し、結果、前作を超える1600万枚以上の大ヒット作となった。同アルバムからは、「リヴィング・オン・ジ・エッジ」、「クライン」、「クレイジー」、「アメイジング」等のシングルも、立て続けにヒットした。MTV Video Music Awardsでは「リヴィング・オン・ジ・エッジ」が「ヴューワーズ・チョイス」を受賞 。同タイトルは、翌1994年の 第36回グラミー賞 でも「ベスト・ロック・パフォーマンス」を受賞 。また、「クライン」がMTV Video Music Awardsの最優秀賞に当たる「ビデオ・オブ・ザ・イヤー」を含む、3部門でそれぞれ受賞した さらに翌年「クレイジー」が、 第37回グラミー賞 で「ベスト・ロック・パフォーマンス」を受賞している 。また、同年に開催された日本ツアーでは、横浜・大阪・広島・福岡・名古屋等の各地での公演に続けて、 日本武道館 で計7日間の公演などを行い、初の南米ツアーも行われた。11月にはゲフィン・レコード期から選曲したベスト・アルバム『 ビッグ・ワンズ 』を発表する。

イナフ・ズナフ バンドは アリスタ・レコード

バンドは アリスタ・レコード へ移籍して『アニマルズ・ウィズ・ヒューマン・インテリジェンス』(1993年)を発表。収録曲「ライト・バイ・ユア・サイド」は、 ノルウェー のガール・ポップ・バンド、チューズデイ・ガールズのデビュー・アルバム『彼女はtuesday girl』(1995年)でカヴァーされた。しかし、アルバム制作後にはヴィック・フォックスが ヴィンス・ニール に引き抜かれたため脱退し、後任ドラマーとしてリッキー・ペアレントが加入する。同アルバムは日本の オリコン では49位 を記録するが、本国アメリカではチャート・インを果たせず、バンドはアリスタとの契約を失う。更に、かねてから ドラッグ の問題を抱えていたデレク・フリーゴも脱退。

1991
エアロスミス 1991年、MTV Video Music Awardsで「アザー・サイド」が「ベスト・メタル/ハードロック・ビデオ」を受賞 。初の

1991年、MTV Video Music Awardsで「アザー・サイド」が「ベスト・メタル/ハードロック・ビデオ」を受賞 。初の ボックス・セット 『パンドラの箱』を発表する。

プライマル・スクリーム 「ローデッド」を含むバンドの出世作『 スクリーマデリカ

「ローデッド」を含むバンドの出世作『 スクリーマデリカ 』は1991年に発売された。作中の代表曲「ハイヤー・ザン・ザ・サン」は、ストーン・ローゼズの「フールズ・ゴールド」と並び、 セカンド・サマー・オブ・ラブ と称された世代のアンセムとされた 。アルバムのクレジットには、ウェザオール、 ジ・オーブ 、 ヒューゴ・ニコルソン といったダンス系のミュージシャンから、 ローリング・ストーンズ との仕事で知られる ジミー・ミラー まで様々な顔ぶれが並んだ。よりダンス的なグルーヴに傾倒し、「時代を切り取った 」このアルバムは、 マーキュリー賞 の初代ウィナーとなった 。

プライマル・スクリーム ライブメンバーにはケヴィン・シールズがラインナップに加わった。1991年の『 ラヴレス 』以降、狂人との扱いを受けていた

ライブメンバーにはケヴィン・シールズがラインナップに加わった。1991年の『 ラヴレス 』以降、狂人との扱いを受けていた マイ・ブラッディ・ヴァレンタインのフロントマンは、プライマル・スクリームのギタリストとして久方ぶりにステージに立った。彼は2000年の終わりにはグループを離れる考えがあったが、その後何年かギタリストとしてツアーを共にした 。