1984年 、 シカゴ の近郊にあるブルー・アイランドで結成された。当時のバンド名は”Enough Z’Nuff”で、オリジナル・メンバーは ドニー・ヴィー ( ボーカル )、チップ・ズナフ( ベース )、ジーノ・マルティーノ( ギター )、B.W. ボウスキー( ドラムス )の4人。このラインナップで制作されたデモ音源は、後にアルバム『1985』としてリリースされることになる。その後、メンバー・チェンジを経てデレク・フリーゴ(ギター)とヴィック・フォックス(ドラムス)が加入し、 1989年 に アトコ・レコード からメジャー・デビュー・アルバム『イナフ・ズナフ』を発表。同作は全米74位に達し 、「ニュー・シング」(全米67位)や「フライ・ハイ・ミッシェル」(全米47位)といったシングル・ヒットも生んだ 。ただし、彼らはいわゆる「ヘア・メタル」の一派と同類に見られがちとなり、バンド本来の持ち味であるパワー・ポップ的な音楽性は見過ごされることとなった 。
1984年2月、エアロスミスのボストン公演をジョーとブラッドが訪れる。後日・話し合いの場が持たれてオリジナルメンバーでの再活動が決まり、諸条件(ドラッグ、アルコールからの脱却とマネジメントの刷新)を整えてツアーを開始。 レコードレーベル は ゲフィン・レコード に移籍する。
1983年9月、ジョー・ペリー・プロジェクト3rdアルバム『いつまでも熱く』発表。
デイは音楽活動が低迷してから麻薬の売買に関わっていたらしく、 1982年 6月3日にフロリダ州ロングウッドの自宅で麻薬売人のギャングと思われる人物によって射殺された。事件は現在も未解決である。
1982年8月、ブラッドに代わるギタリストに リック・デュファイ を迎えて7thアルバム『 美獣乱舞 』を発表。
1981年8月、ブラッドがデレク・セント・ホルムズとアルバム『ウィットフォード/セント・ホムルズ』を発表しバンドから脱退する。また、ジョー・ペリー・プロジェクトは2ndアルバム『忘れじのロックン・ロール』を発表する。
1980年の6月、マッギーはイネスの誘いで ロンドン へ上京した 。マッギーはグラスゴー時代と変わらず イギリス国鉄 で働き、同僚女性と結婚した。彼はイネスと自身のバンドで活動する傍らリヴィング・ルームというクラブイベントを主催し、次第にインディー界隈で名の知られる存在になっていった 。一方イネスは薬物中毒に陥った結果肝炎になり、後に肝臓を一つ摘出した 。
1980年3月、ジョー・ペリー・プロジェクトが1stアルバム『熱く語れ!』を発表。一方、スティーヴンの負傷などにより活動が停滞していたバンドは、10月に初の ベスト・アルバム 『グレイテスト・ヒッツ』を発表する。
アンドリュー・イネス は、ザ・ドレインズというバンドでギターを弾いていた。このバンドのベース募集にマッギーが応募したことで彼らは出会った 。マッギーはこの募集への唯一の応募者ということもあり、ベースプレイヤーとしてドレインズのメンバーに加わることになった。ギレスピーはマッギーを通じてイネスと知り合った。2、3ヵ月が経ち、イネスとマッギーはドレインズの他のメンバーを追い出し、ギレスピーを加えてキャプテン・スカーレット・アンド・ザ・ミステロンズというバンドのようなものを始めた 。当時の彼らは ザ・クラッシュ や ザ・ジャム に夢中で、パンクの有名曲を弾くことが出来たイネスをギレスピーは尊敬していた 。このバンドごっこの後、イネスとマッギーは1978年から1979年にかけていくつかのバンドに所属した。このバンドの中には、後に RCAレコード から幾つかのヒットシングルを出す H2O も含まれている 。
人気の拡大とともにバンド活動には2度目のヨーロッパツアーを含む大規模なツアーが組み込まれ、その合間に次作のレコーディングが行われるという過酷なスケジュールになり、以前から使用していたとされるドラッグも使用頻度が増していった( 薬物乱用 )。そのような中、1977年12月に5thアルバム『 ドロー・ザ・ライン 』を発表。全米チャート11位(Billboard 200)のヒットとなる。1978年3月には ロック・フェスティバル 「 カリフォルニア・ジャム2 」で ヘッドライナー を務め、同年7月から公開された ビートルズ のアルバム『 サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド 』を取り上げた同名タイトルの映画にも出演。 ジョージ・マーティン をプロデューサーに迎え、「 カム・トゥゲザー 」をカバーするなど精力的な活動が続いていた。しかし、バンド内ではスティーヴンとジョーの関係悪化が進み、ステージ上で小突き合いまでしていた 。さらに、バンド内に蔓延しているドラッグ癖が次作のアルバム制作にまで影響を及ぼす状況になっていた。そして、1979年7月のロック・フェスティバル『ワールド・シリーズ・オブ・ロック』出演後に些細な出来事からバンド内で大喧嘩が起こり、ジョーがバンドを脱退する事態にまで発展した。