blues rock

1972
エアロスミス はじめは カバー 曲中心のパーティバンドのような活動をしていたが、 ボストン

はじめは カバー 曲中心のパーティバンドのような活動をしていたが、 ボストン の「フェンウェイ・シアター」支配人からの紹介により地元有力プロモーターに出会い、マネジメント契約を結ぶ。その後、マネジメント会社の交渉により1972年夏に コロムビア・レコード との契約が成立した。こうしてエアロスミスはデビューする足掛かりを掴んだ。

1971
エアロスミス しかし、翌1971年にレイモンドが脱退。バンドは新たなギタリストとして ブラッド・ウィットフォード

しかし、翌1971年にレイモンドが脱退。バンドは新たなギタリストとして ブラッド・ウィットフォード を迎えることになり、オリジナルメンバーが揃うことになる。

1970
エアロスミス 1970年夏、 アメリカ ニューハンプシャー州 サナピー湖にある クラブ 「ザ・バーン」で友人関係にあった ジョー・ペリー と

1970年夏、 アメリカ ニューハンプシャー州 サナピー湖にある クラブ 「ザ・バーン」で友人関係にあった ジョー・ペリー と トム・ハミルトン らによる バンド 「ザ・ジャムバンド」の演奏を スティーヴン・タイラー が観ており、彼らに新バンドを組む話を持ちかけた事が「エアロスミス」誕生の発端とされている 。スティーブンはすでに別のバンド(「ザ・ストレンジャーズ」や「チェーン・リアクション」)で ドラマー 兼 ボーカル として活動しており、地域で知名度もあった。

カクタス 1970年初め、仕方なく2人は知り合いだったギタリストの ジム・マッカーティー (元 ミッチ・ライダー & デトロイト・ホイールズ 、

1970年初め、仕方なく2人は知り合いだったギタリストの ジム・マッカーティー (元 ミッチ・ライダー & デトロイト・ホイールズ 、 バディ・マイルス ・エクスプレス)を誘い、マッカーティーの推薦でヴォーカリストの ラスティ・デイ (元 アンボイ・デュークス )を迎えて カクタス を結成して活動を始めた。通りがかりの ドライブインシアター の名前から採られたバンド名は「 サボテン 」という意味で、全てのオリジナル・アルバムのジャケットにはサボテンが描かれている。

カクタス ボガート、アピス、マッカーティー、デイの4人は『 カクタス 』(1970年)、『 ワン・ウェイ…オア・アナザー 』(1971年)、『

ボガート、アピス、マッカーティー、デイの4人は『 カクタス 』(1970年)、『 ワン・ウェイ…オア・アナザー 』(1971年)、『 リストリクションズ 』(1971年)と3作のアルバムを発表。1971年末にバンド内のトラブルでマッカーティーが脱退、その後間もなくデイが解雇された。ボガートとアピスは元 アトミック・ルースター のピーター・フレンチ(ヴォーカル)、ワーナー・フリッツシング(ギター)、デュアン・ヒッチングス(キーボード)を迎えて、1972年にライヴ録音を含む4作目のアルバム『 汗と熱気 』を発表。しかし2人はベックとのバンド結成が可能になったので迷わず脱退し、カクタスは解散した。

フラワー・トラベリン・バンド 内田裕也とザ・フラワーズ がメンバー交代で元4.9.1(フォー・ナイン・エース)の ジョー山中 ( ボーカル )、元ビーバーズの 石間秀樹

内田裕也とザ・フラワーズ がメンバー交代で元4.9.1(フォー・ナイン・エース)の ジョー山中 ( ボーカル )、元ビーバーズの 石間秀樹 ( ギター )、元 ザ・タックスマン の上月ジュン(現 小林ジュン 、 ベース )、 和田ジョージ ( ドラムス )4人による体制になり 1970年 2月に改名し再出発。 内田裕也 はプロデュースを担当し、 日本コロムビア から 日野皓正 ・クインテットとシングル「Crash」を発表したあと10月に 日本フォノグラム でアルバム『Anywhere』を発表。同年に開かれた 大阪万国博覧会 の出演中に知り合った カナダ のロックバンド、 ライトハウス に見出されメンバーはカナダへ渡る。地元でライブ活動を重ね評価を上げた彼らは アメリカ の アトランティック・レコード と契約し4月にアルバム『SATORI』をアメリカとカナダで発売(日本は ワーナー・パイオニア から)。同アルバムと、シングル・カットされた「SATORI Part2」がカナダのチャートに入る 。また、ライトハウス、 ELP 、 ドクター・ジョン などのミュージシャンと競演ライブも行った。

1969
カクタス 1969年、ボガートとアピスは ジェフ・ベック

1969年、ボガートとアピスは ジェフ・ベック (ギター)から新しいバンドの結成に誘われて、ヴァニラ・ファッジからの脱退を決めた。しかし11月2日にベックが自動車事故を起こして全治3か月の重傷を負ったので、バンドの結成は頓挫してしまった。

1946
エアロスミス この新バンドでスティーブンはフロントマンに徹し、ドラマーに ジョーイ・クレイマー

この新バンドでスティーブンはフロントマンに徹し、ドラマーに ジョーイ・クレイマー 、もう1人のギタリストにレイモンド・タバーノ(1946〜)が加入し活動がスタート。バンド名はジョーイが高校時代からイメージしていたバンド名にちなんで「エアロスミス」に決まった 。バンドロゴはレイモンドの原案が採り入れられた。