ファーストアルバムはバンドの象徴的な楽曲である「Antisocial」の鼓舞により、爆発的なヒットにつながる。 ジャック・メスリーヌ の引用を含む曲「Le Mitard」は、かつてのフランス民衆の最大の敵に オマージュ を送ったとして、多くの批判が寄せられる。 1981年 2月、トラストはアイアンメイデンの前座として英国で20ほどのコンサートを行い、 リーズ で モーターヘッド の前座を務めた後、5月にはフランスのバンドとしては当時希少であるヘッドライナーとしてツアーを行った。1980年8月29日、 レディング・フェスティバル のトップアクトとして演奏し、4万5,000人の聴衆から歓声を浴びる。しかし、次の演奏を控えていた ギラン の事務所との間でトラブルが発生し、同マネージメントはアンコールを作為的に妨害しようと、セットリストの最終曲で PA を切るように要求した 。1981年には映画 『ヘビーメタル』 ( 英語版 ) のサウンドトラックに「Préfabriqués」の英語バージョンである「Prefabricated」を提供した。
元ブラック・ホールのベーシスト、柴田直人を中心に1981年に結成された。結成当時のメンバーは柴田、前田“トニー”敏仁(Vo)、元 十二単 の小柳彰史(G)、当時18歳の大内“MAD”貴雅(Dr)の4人。結成当時のステージネームは柴田“マグナム”直人、前田“アンヴィル”敏仁、小柳“レイヴン”彰史、大内“ヴェノム”貴雅であり、主に渋谷のライブハウス「 屋根裏 」等で活動していた。
RAINBOW #7(1980年11月 – 1981年 11月)
RAINBOW #6(1980年8月 – 1980年11月)
デビュー・アルバムはいかにも欧州的な叙情派バラードや、後のスピード・メタル路線につながるパワフルな曲などが収録されていたが、 1980年 に発表した2枚目のアルバム『アイム・ア・レベル』では自分たちの意志ではなかったというアメリカン・ロックを強要され、メンバー達にとっては不本意な作品となった。また、この時期はまだ商業的な成功にはほど遠かった。
1980年代 の末期に差し掛かかると、 グラムメタル ( LAメタル )のムーブメントが終息に向かい、バンド人気も下降していく。
1980年 、元 ダムド のアルジー・ワード(Vo/B)と 、ピーター(G)、マーク(Ds)のブラブス兄弟により結成される。 モーターヘッド のエディ・”ファスト”・クラークがプロデュースしたシングル「Don’t Walk Away」でデビュー。モーターヘッドの弟分バンドとして人気を博した。
1980年、二井原が「もう
1980年2月、トラストは再びロンドンに滞在し、次作アルバム「Répression」の制作に取り組んでいた。バンドと共に多くの時間を過ごしていたボン・スコットは、バーニーの歌詞を英訳していたが、彼は泥酔の末に悲劇的な死を遂げる 。その後、ボンの訳詞は発見されず、AC/DCのマネージャー、ピーター・メンシュによって押収されたとベルニーは語る。最終的に、緊急の状況下でジミー・パーシー( シャム69 )が「Répression」の英語バージョンに取り組むこととなった。同時に、バンドのドラマーであるジャノが脱退し、アルバムを手がけたサウンドエンジニア、デニス・ワインリッチの助言で、 ニコ・マクブレイン が後任として加入した。
1980年代 初頭には勢いを失うが、1980年代中期から再び脚光を浴び、 1989年 には豪華ゲストを迎えた『 トラッシュ 』が大ヒットを記録した。その後も幾度となく浮沈を繰返したが、現在においてもなお精力的に活動を行っており、「 キッス 」や「 エアロスミス 」と並ぶ、アメリカン・ ハードロック 界の重鎮ともいえる存在である。