heavy metal

1972
トゥイステッド・シスター 1972年 12月、フランス人のジェイ・ジェイ・フレンチ(ギター)らによって、 ニューヨーク で結成 。 1973年

1972年 12月、フランス人のジェイ・ジェイ・フレンチ(ギター)らによって、 ニューヨーク で結成 。 1973年 2月に4人のメンバーが加入、 1975年 にヴォーカルとギターの支援として、ジェイの高校からの友人であったエディ・オヘダ(ギター)が参加した。

アリス・クーパー 同年、ワーナー・ブラザーズに移籍して『 キラー 』を発表。翌 1972年 に発表したアルバム『 スクールズ・アウト

同年、ワーナー・ブラザーズに移籍して『 キラー 』を発表。翌 1972年 に発表したアルバム『 スクールズ・アウト 』がティーンエイジャーを中心に支持され大ヒットし、クーパーは一躍人気ロッカーとなった。同アルバムのオリジナル・アナログ盤は紙製の パンティー に包まれていたことも話題となった。

フラワー・トラベリン・バンド 1972年 3月の帰国後、 篠原信彦 ( キーボード 、ex. ハプニングス・フォー )がサポートメンバーとしてバンドに参加

1972年 3月の帰国後、 篠原信彦 ( キーボード 、ex. ハプニングス・フォー )がサポートメンバーとしてバンドに参加 。全国縦断コンサートを行い、さらに 1973年 1月に来日する ローリング・ストーンズ の 前座 を務める予定だったが、来日は中止になり大きなチャンスを逸してしまう 。 1973年 2月、アルバム『Make Up』を発表。同年4月、 京都円山公園音楽堂 で行われたコンサートを最後に解散する 。

1970
クイーンズライク 少年期に ベース を演奏していたマイケル・ウィルトン (Michael Wilton)は、ハイスクールに進むと ギター

少年期に ベース を演奏していたマイケル・ウィルトン (Michael Wilton)は、ハイスクールに進むと ギター に転向した。1970年代後半には、ハイスクールで出会い友人となった ギタリスト のクリス・デガーモ (Chris DeGarmo)とともに「Joker」というバンドを結成し、地元のショーやイベントで演奏するなどしていた。ハイスクール卒業後、 クラシック や ジャズ などを学ぶためにシアトルの音楽学校コーニッシュへと進んだマイケル・ウィルトンは、その2年の在学期間中に ベーシスト のエディ・ジャクソン (Eddie Jackson)、 ドラマー の スコット・ロッケンフィールド (Scott Rockenfield)と出会い、 1981年 、それぞれ別のバンドに在籍していた4人が集結して「ザ・モブ (The Mob)」を結成した。

フラワー・トラベリン・バンド 内田裕也とザ・フラワーズ がメンバー交代で元4.9.1(フォー・ナイン・エース)の ジョー山中 ( ボーカル )、元ビーバーズの 石間秀樹

内田裕也とザ・フラワーズ がメンバー交代で元4.9.1(フォー・ナイン・エース)の ジョー山中 ( ボーカル )、元ビーバーズの 石間秀樹 ( ギター )、元 ザ・タックスマン の上月ジュン(現 小林ジュン 、 ベース )、 和田ジョージ ( ドラムス )4人による体制になり 1970年 2月に改名し再出発。 内田裕也 はプロデュースを担当し、 日本コロムビア から 日野皓正 ・クインテットとシングル「Crash」を発表したあと10月に 日本フォノグラム でアルバム『Anywhere』を発表。同年に開かれた 大阪万国博覧会 の出演中に知り合った カナダ のロックバンド、 ライトハウス に見出されメンバーはカナダへ渡る。地元でライブ活動を重ね評価を上げた彼らは アメリカ の アトランティック・レコード と契約し4月にアルバム『SATORI』をアメリカとカナダで発売(日本は ワーナー・パイオニア から)。同アルバムと、シングル・カットされた「SATORI Part2」がカナダのチャートに入る 。また、ライトハウス、 ELP 、 ドクター・ジョン などのミュージシャンと競演ライブも行った。

1969
オジー・オズボーン 1969年、アースの4人(担当パート:オジー・オズボーン= ヴォーカル 、トニー・アイオミ= ギター 、ギーザー・バトラー= ベース

1969年、アースの4人(担当パート:オジー・オズボーン= ヴォーカル 、トニー・アイオミ= ギター 、ギーザー・バトラー= ベース 、ビル・ワード= ドラム )はバンド名を ブラック・サバス へと改めた。この名はギーザー・バトラーが当時公開されていた映画『BLACK SABBATH』から命名。1970年2月13日金曜日、自費レコーディングによるアルバム『BLACK SABBATH(邦題:黒い安息日)』でデビュー。

アリス・クーパー 1969年 、クーパー(ボーカル)、 グレン・バクストン (リード・ギター)、 マイケル・ブルース (リズム・ギター)、

1969年 、クーパー(ボーカル)、 グレン・バクストン (リード・ギター)、 マイケル・ブルース (リズム・ギター)、 デニス・ダナウェイ (ベース・ギター)、 ニール・スミス (ドラムス)からなる『アリス・クーパー』は、 フランク・ザッパ の ストレイト・レコード と契約を結び 、デビュー・アルバム『 プリティーズ・フォー・ユー 』を発表した。同年9月13日、 トロント・ロックンロール・リバイバル に出演し、翌日の全国紙でクーパーがニワトリを噛みちぎってその血を聴衆に吹きかけたと報道された。しかし彼は、ニワトリを聴衆に向かって投げたところ車椅子の観客に踏み潰されたのだ、と語っている 。ストレイト・レコードからは 1970年 に『イージー・アクション』、 1971年 に『エイティーン』を発表。後者の共同プロデューサーの一人に ボブ・エズリン を迎えた。

1968
アクセプト (バンド) 非常に個性的な声と風貌で有名なヴォーカリスト ウド・ダークシュナイダー が、 1968年 に旧西ドイツ・ ゾーリンゲン

非常に個性的な声と風貌で有名なヴォーカリスト ウド・ダークシュナイダー が、 1968年 に旧西ドイツ・ ゾーリンゲン で結成したロック・バンド「Band X」が前身(一時期、後にプロデューサーとして名を上げるマイケル・ワグナーが在籍していた。)。そして 1976年 に ウルフ・ホフマン 、 ピーター・バルテス らと組んでバンドを再編し、現行の「 アクセプト 」に改名した。

1967
サージ・タンキアン 1967年8月21日に生まれた

サージ・タンキアンはカチャドール・タンキアンの息子として1967年8月21日に生まれた。

テッド・ニュージェント 1967年 、デトロイトの サイケ ・ ガレージロック バンド、 アンボイ・デュークス

1967年 、デトロイトの サイケ ・ ガレージロック バンド、 アンボイ・デュークス のリード・ギタリスト(一部楽曲ではリード・ヴォーカルもとった)としてデビュー。 1973年 から 1974年 にかけては、2枚のアルバムを フランク・ザッパ のレーベル、 ディスクリート からリリース。アンボイ・デュークス解散後、 1975年 に初のソロ・アルバム『閃光のハード・ロック』発表。ソロ・プロジェクトでは、主にデレク・セント・ホルムズがヴォーカルを担当しているが、一部楽曲はテッド自身が歌っている。