1986年4月、2ndアルバム「 TIGHTROPE 」をリリース。同年11月2日、学園祭でのライヴにて主催した学生のミスにより数十人の学生が酸欠で倒れる事故が起こった。
1985年 にはアルバム『 メタル・ハート 』を発表。このアルバムはドイツのアルバム・チャートで13位に達して初のトップ50入りを果たし 、スウェーデンでは最高4位という大ヒットを記録した 。このアルバム発売の直後に初の日本公演を行う。この模様は当初、 愛知県勤労会館 での公演を収録した6曲入りのライヴ・アルバム『 ライヴ・イン・ジャパン 』として発売され 好セールスを記録した。 1990年 には、1985年に行った大阪公演でのライヴ・アルバムが『ステイング・ア・ライフ』としてリリースされた(ビデオも存在するが、映像は日本公演のものではない)。収録曲の”Princess of the Dawn”では、観客の大合唱にダークシュナイダーが驚いている様子までが収録されている。
1985年にはスティーヴを迎えての傑作『 ディスタービング・ザ・ピース 』をリリースしたが、同年、スティーヴが当時 ヴァン・ヘイレン を脱退したばかりの デイヴィッド・リー・ロス の誘いを受け脱退、後任にダニー・ジョンソンを迎え、3rdアルバム『 デンジャラス・ゲームス 』をリリースするも鳴かず飛ばずで1987年に解散した。
1985年 11月に、4枚目のアルバム『カム・アウト・アンド・プレイ』をリリース。このアルバムは50万枚を売り上げ利益にはなったものの、前作のような大ヒットまでには至らなかった。アルバムでは アリス・クーパー 、 ブライアン・セッツァー 、 ビリー・ジョエル 、 クラレンス・クレモンズ など著名ミュージシャンも制作に加わり話題となっていたが、肝心のツアーでのゲスト参加が流れ、当初の計画が頓挫してしまった。
1980年代初期に サンディエゴ で結成される。当初は ジェイク・E・リー が在籍していたが、メンバー・チェンジが続き、アミア・デラク加入後、 ワーナー・ブラザース・レコード からメジャー・デビュー・アルバム『ラフ・カット』(1985年)を発表した。2枚のアルバムを発表した後、ポール・ショーティノがバンドを脱退して クワイエット・ライオット に加入した。ペリモア・マッカーティ(元ウォリアー)が一時的に在籍するが、ほどなく解散。アミア・デラクは、後に オージー で活動。
1985年、オーディションの結果、元レゾナンスの坂本英三(Vo)が加入。後に加入する森川之雄もオーディションに参加していたが、バンドは坂本を選択 。
1985年、キングレコードより「 ANTHEM 」でデビュー。
レインボーは7作目のアルバム『 ストリート・オブ・ドリームス 』と同年3月の日本公演 を最後に活動を停止、解散する。
1984年 、フランクが脱退したのちフィッシャーが再度加入。アルバム『 ボールズ・トゥ・ザ・ウォール 』を発表し、彼らの スピードメタル 、 ヘヴィメタル バンドとしての地位が確立される。『ボールズ・トゥ・ザ・ウォール』は商業的にも成功を収め、母国ドイツのアルバム・チャートに初登場を果たして59位を記録 。さらにアメリカでも自身初の Billboard 200 入りを果たし、74位を記録する 。 そして、ジューダス・プリースト等と共に、英国 ドニントンパーク で開催された第5回 モンスターズ・オブ・ロック に出演した。
1984年1月には初来日を果たした。イングヴェイはリッチーに憧れているとはいえ黒い衣装、白い ストラトキャスター 、ギターを壊すパフォーマンスと全てリッチーのコピーであるため客から失笑がもれた。だが、「テープの速回しじゃないか?」と噂されていたイングヴェイのメロディアスかつ強烈な速弾きは紛れもない本物であった。そして、この初来日の東京公演が収録されたアルバム『 ライヴ・センテンス 』をリリースする。しかし、観客が求めるものがイングヴェイの演奏であったことから他のメンバーから強い嫉妬を受け、次第にステージ上で喧嘩になるなどメンバーとの関係が悪化、イングヴェイは解雇に近い形でマネージャーのアンディ・トゥルーマンと共に脱退してしまう 。後任には(同じく速弾きを得意とするとはいえ)イングヴェイとはスタイルを異にする スティーヴ・ヴァイ を加入させ、1984年10月に再来日を果たした。初来日公演も再来日公演もライブ・ビデオが発売され好評であった。