dance-rock

2010
U2 しかし、その華々しい興行的成功とは裏腹に、ツアーの内実には多くの困難も伴った。本作からの新曲が過去のヒット曲ほど観客に浸透していなかったため

しかし、その華々しい興行的成功とは裏腹に、ツアーの内実には多くの困難も伴った。本作からの新曲が過去のヒット曲ほど観客に浸透していなかったため、バンドはセットリストの構築に苦心することになった 。 さらに2010年5月、ツアー再開に向けたリハーサル中にボノが深刻な脊椎損傷を負い、ミュンヘンで緊急手術を受ける事態となった。これにより北米ツアーは延期され、同年6月に予定されていた グラストンベリー・フェスティバル へのヘッドライナー出演もキャンセルされた 。

2009
U2 2009年 1月18日 、 バラク・オバマ の大統領就任を祝うコンサート「 ウィ・アー・ワン:オバマ就任祝典

2009年 1月18日 、 バラク・オバマ の大統領就任を祝うコンサート「 ウィ・アー・ワン:オバマ就任祝典 」に出演した。ワシントンD.C.の リンカーン記念館 前で約40万人の観客を前に、「プライド」と「シティ・オブ・ブラインディング・ライツ」を披露。キング牧師が1963年に「アイ・ハヴ・ア・ドリーム」の演説を行った場所で、ボノは「プライド」の演奏中に「自由を鳴り響かせよう」と呼びかけ、キング牧師の夢をアメリカだけでなく、アイルランド、ヨーロッパ、アフリカ、イスラエル、パレスチナにも広げるメッセージを発した。続いて演奏された「シティ・オブ・ブラインディング・ライツ」では、オバマが選挙キャンペーンでこの曲を使用したことにも触れ、次期大統領への敬意を表した 。

U2 しかし、本作は批評家から一定の評価を得た一方、商業面では前2作に及ばなかった。アルバムは30か国で初登場1位を記録したものの、2009年10

しかし、本作は批評家から一定の評価を得た一方、商業面では前2作に及ばなかった。アルバムは30か国で初登場1位を記録したものの、2009年10月の時点で世界売上は約100万枚にとどまり、2004年の『原子爆弾解体新書』の売上を大きく下回った。ボノは、U2が当時のポップ・ミュージックの潮流を見誤り、より実験的で複雑な作品を作ってしまったことへの失望を語っている。先行シングルの「 ゲット・オン・ユア・ブーツ 」も、全英シングル・チャートで12位、アメリカのビルボード・ホット 100で37位にとどまり、「ビューティフル・デイ」や「ヴァーティゴ」のような大ヒットには至らなかった 。

U2 一方、本作に伴って2009年6月からスタートした U2 360° ツアー

一方、本作に伴って2009年6月からスタートした U2 360° ツアー は、商業的には歴史的な大成功を収めた。スタジアムの中央に巨大な4本脚の構造物を設置し、その下に円形のステージを組んで観客が360度全方向からバンドを取り囲むという規格外のセットは、通称「ザ・クロウ(The Claw)」と呼ばれた。ツアーは2009年から2011年まで26か月にわたって行われ、30か国・5大陸で110公演を実施。最終的に700万人を超える観客を動員し、興行収入は7億3,642万1,586ドルに達した。2011年7月の終了時点で、史上最高興行収入のコンサート・ツアーとなった 。

2008
B-52's 2008年 、 スティーヴ・オズボーン のプロデュースで16年ぶりにアルバム『ファンプレックス』を発表する。

2008年 、 スティーヴ・オズボーン のプロデュースで16年ぶりにアルバム『ファンプレックス』を発表する。

2007
U2 一方、前2作でストレートなロック・サウンドへの回帰を推し進めたU2は、次なるアルバムで再び実験的なアプローチへと向かい、2007年から

一方、前2作でストレートなロック・サウンドへの回帰を推し進めたU2は、次なるアルバムで再び実験的なアプローチへと向かい、2007年から モロッコ のフェズでレコーディング・セッションを開始した。今回はブライアン・イーノとダニエル・ラノワを単なるプロデューサーとしてではなく、対等なソングライター(共作者)として招き入れている。「未来の賛美歌」をテーマに、北アフリカの民族音楽からインスピレーションを得ながら、エレクトロニクスとロックを融合させる実験的なサウンドを追求した 。 その後、ダブリン、ニューヨーク、ロンドンでの長期にわたるセッションを経て、2009年2月に12作目のアルバム『 ノー・ライン・オン・ザ・ホライゾン 』がリリースされた 。

2006
U2 こうした社会との関わりは、翌2006年にも続く。前年に ハリケーン・カトリーナ

こうした社会との関わりは、翌2006年にも続く。前年に ハリケーン・カトリーナ によって甚大な被害を受けたニューオーリンズの復興を支援するため、U2はパンク・ロック・バンドのグリーン・デイと異色のコラボレーションを実現した。両者は ザ・スキッズ の「 セインツ・アー・カミング 」をカバーして共同レコーディングし、シングルとして発表。各国のチャートでヒットを記録した。さらに同年9月、営業を再開したニューオーリンズ・スーパードームで行われたNFLの公式戦では、U2とグリーン・デイがフィールド上で共演。「セインツ・アー・カミング」と「ビューティフル・デイ」を披露し、復興途上にあったニューオーリンズの人々に強いメッセージを届けた 。

2005
U2 そして2005年と2006年のグラミー賞では、本作とその収録曲がノミネートされた8部門をすべて受賞した。「ヴァーティゴ」が3部門を制したのに

そして2005年と2006年のグラミー賞では、本作とその収録曲がノミネートされた8部門をすべて受賞した。「ヴァーティゴ」が3部門を制したのに続き、2006年には「サムタイムズ・ユー・キャント・メイク・イット・オン・ユア・オウン」が「最優秀楽曲賞」を、「 シティ・オブ・ブラインディング・ライツ 」が「最優秀ロック・ソング」を獲得し、アルバム本体も「最優秀アルバム賞」と「最優秀ロック・アルバム」を受賞した。結果として本作は、U2にとって前作に続く2作連続の「最優秀アルバム賞」受賞作となった 。

U2 2005年3月、U2は ロックの殿堂

2005年3月、U2は ロックの殿堂 入りを果たした。デビューから25年を経て資格を得た最初の年での殿堂入りであり、式典ではプレゼンターを務めたブルース・スプリングスティーンがU2への熱烈な賛辞を送った。本作の成功とほぼ時を同じくして実現したこの殿堂入りは、U2が現役の人気バンドであるだけでなく、すでにロック史における重要な存在として認められていたことを象徴する出来事だった 。

U2 同年3月末から始まった ヴァーティゴ・ツアー

同年3月末から始まった ヴァーティゴ・ツアー も、U2の巨大なライブ・バンドとしての地位を決定づけるものとなった。アリーナとスタジアムを組み合わせた大規模なツアーは各地でソールドアウトが続き、2005年だけで90公演すべてが完売、300万人以上を動員。興行収益は2億6000万ドルに達し、同年のツアー興行収益ランキングで1位を獲得した 。