1976年、デイは フロリダ州 ロングウッド に移り住み、 スティーヴ・「カホウテック」・ダンスビー 、ジョン・「ソイビーン・スリム」・サウター 、 ゲイリー・「マッドマン」・モファット と新たなカクタスを結成した。この構成が一番長続きし、1970年代後半を通して活動して1979年に解散した。幾つかのデモが録音されたとされるが、公式には発表されていない。ライヴ録音はネット上で聴取できる。
1976年4月、全米ツアー開始。 ニューヨーク の マディソン・スクエア・ガーデン でのライブも開催。5月には4thアルバム『 ロックス 』を発表。全米アルバムチャート3位(Billboard 200)を記録し、「ラスト・チャイルド」、「ホーム・トゥナイト」、「バック・イン・ザ・サドル」もシングルヒットする。日本でも彼らの知名度は上がり、「 クイーン 」、「 キッス 」らと並び“3大バンド” の1つとして人気を博した。10月には初のヨーロッパツアーを開始。翌1977年2月には初の日本ツアーも行っている。また前座には BOWWOW が参加した。
ボビー・ギレスピー とロバート・ヤングは、共に グラスゴー のキングスパーク・セカンダリースクールに通っていた 。ギレスピーの父は熱心な労働党支持者で、労働組合の幹部を務めていた。ギレスピーには2つ年上の アラン・マッギー という友人がいた。当初ギレスピーとマッギーは大親友という程ではなかったが、ギレスピーが誘った シン・リジー のショーをきっかけに連れ立ってコンサートへ足を運ぶようになっていった 。彼らは当時流行していた パンク・ロック を通じて親交を深め、マッギーが1975年に学校を退学する頃には互いの一番の親友となっていた 。パンクに出会った彼らは反抗期を迎え、音楽のこと以外には興味を示さなくなった。当時の彼らはいつも喧嘩腰で、信じられないほどの癇癪持ちだったという 。
1975年4月、3rdアルバム『 闇夜のヘヴィ・ロック 』を発表。「 ウォーク・ディス・ウェイ 」や「 スウィート・エモーション 」もシングルヒットし、アルバムも全米チャート11位(Billboard 200)まで上昇。バンド初のプラチナ・ディスクを獲得した。この勢いで前2作のアルバムのセールスも上がり、シングル「ドリーム・オン」は再発売されて全米チャート6位(Billboard Hot 100)まで上昇した。なお、日本では同年5月に『飛べ!エアロスミス』が発売されて日本デビューとなった。
1974年3月、2ndアルバム『 飛べ!エアロスミス 』を発表。1年以上に渡って全米チャート200位圏内( Billboard 200 )に入り続ける、ロングヒット作品になった。プロデューサーは ジャック・ダグラス が担当した。
ヒッチングスが中心となったザ・ニュー・カクタス・バンド には、オリジナル・メンバーは参加しなかった。1973年、ヒッチングス、元 ブルース・イメージ 、 アイアン・バタフライ の マイク・ピネーラ (ギター)、 ローランド・ロビンソン (ベース)、 ジェリー・ノリス (ドラムス)の顔ぶれでアルバム『サン・オブ・カクタス』 を発表し、同年中頃には キャプテン・ビヨンド の ボビー・コールドウェル (ドラムス)と元 グレッグ・オールマン の チャーリー・ソウザ (ベース)を迎えて、中西部および東海岸でツアーを行った。しかし活動は長続きせず、彼等は間もなく解散した。
1973年1月、1stアルバム『 野獣生誕 』でデビュー。アルバム収録曲の「ドリーム・オン」がアメリカ東海岸地区のロック系ラジオを中心として注目され、同曲を シングルカット 。全米チャート59位( Billboard Hot 100 )まで上昇するヒットとなる。
同年、ボガートとアピスはベックと ベック・ボガート & アピス を結成した。スタジオ・アルバム『 ベック・ボガート & アピス 』 (1973年)とライブ・アルバム『 ベック・ボガート & アピス・ライヴ・イン・ジャパン 』(1973年)を発表し、1974年に解散した。
デイ、ゲインズと他のメンバーで1973年に録音された「ザ・バンド・デトロイト – ザ・ドリフトウッド・テープス」が存在する。
はじめは カバー 曲中心のパーティバンドのような活動をしていたが、 ボストン の「フェンウェイ・シアター」支配人からの紹介により地元有力プロモーターに出会い、マネジメント契約を結ぶ。その後、マネジメント会社の交渉により1972年夏に コロムビア・レコード との契約が成立した。こうしてエアロスミスはデビューする足掛かりを掴んだ。