United Kingdom

1987
プライマル・スクリーム 1987年、プライマル・スクリームは、マッギーが ワーナー と共同出資して設立した エレヴェイション・レコーズ からファーストアルバム『

1987年、プライマル・スクリームは、マッギーが ワーナー と共同出資して設立した エレヴェイション・レコーズ からファーストアルバム『 ソニック・フラワー・グルーヴ 』を発売した。作中の何曲かには、後に正式メンバーとなる フェルト のキーボーディスト、 マーティン・ダフィ が参加した。 バーミンガム 出身のこのキーボーディストには、ギレスピーと同じく労働組合幹部の父がいた 。元 レッド・クレイオラ のメイヨ・トンプソンがプロデュースしたこのアルバムは、メディアの高い評価とは裏腹に商業的な成功は収められなかった 。ワーナーから契約を破棄されたバンドはクリエイションに復帰し、12000ポンドのレコーディング費用を受け取り、次のアルバム制作に取り掛かった 。ファーストアルバムでギレスピーと共にバンドの中核を担ったビーティはすでにバンドを離れていた。ビーティ脱退後、ヤングがベースからギターへ転向し、ビーティ、ギレスピーの連名だったソングクレジットは、全てギレスピー、イネス、ヤングの連名へと変わった。

トラッシュキャン・シナトラズ 1987年にスコットランドの イースト・エアシャー キルマーノック で結成された 。同年にサイモン・ダインによって見いだされ、

1987年にスコットランドの イースト・エアシャー キルマーノック で結成された 。同年にサイモン・ダインによって見いだされ、 ゴー・ディスクズ ( 英語版 ) と契約した。

シェイメン 1987年にファースト・アルバム『 Drop ( 英語版 ) 』をリリース。1960年代的な サイケデリック 作品である。

1987年にファースト・アルバム『 Drop ( 英語版 ) 』をリリース。1960年代的な サイケデリック 作品である。

デペッシュ・モード ミュージック・フォー・ザ・マスィズ

1987年 に発表された『 ミュージック・フォー・ザ・マスィズ 』は、マーティンの孤独感や人間関係のすれ違いを表現した歌詞と、アランのオーケストレーションを効果的に使ったシンセサイザーが印象に残るものであった。このアルバムでは初めてデジタル録音を取り入れた。

1986
ザ・スミス マーは後にNMEとのインタビューで、「当時のことは『不調』という言葉では半分も言い表せない。僕はものすごく病気だった。ツアーが完全に終わるま

マーは後にNMEとのインタビューで、「当時のことは『不調』という言葉では半分も言い表せない。僕はものすごく病気だった。ツアーが完全に終わるまでにはちょっと…危険な状態だった。僕は自分を抑えられる以上の量の酒を飲んでいた」と語っている 。そのころ1986年初頭にはルークも ヘロイン による問題でバンドを首になっていた。彼は車のフロントガラスに張られた ポスト・イット で解雇通知を受け取った。文面は「アンディ ― 君はザ・スミスを去った。さようなら幸運を祈る。モリッシー 」というものだった。 しかし、2009年9月にモリッシーは自身のファン・サイトTruetoyou.net上で「そんなポストカードを俺はこれまで書いたことがないし、解雇を知らせるポストカードをアンディの車に置いた覚えもない」と発言してこれを否定している 。

ザ・スミス ルークの代役として、ベースに短期間クレイグ・ギャノン(Craig

ルークの代役として、ベースに短期間クレイグ・ギャノン(Craig Gannon)が入ったが、ルークはわずか2週間で復帰を認められた。ギャノンはザ・スミスにとどまり、リズム・ギターに転向した。ギャノンを加え5人で収録したシングル「 パニック 」と、さらに カースティー・マッコール がバッキングボーカルに入ったシングル「アスク」は1986年夏から秋にかけてリリースされ成功を収め、5人体制になったバンドはイギリスツアーも行った。ギャノンはツアー終了後の1986年10月にバンドを去っている。

パブリック・イメージ・リミテッド その後、PILはライドン中心の流動的なプロジェクトとなり、『ALBUM』(1986年2月)を発表。『HAPPY?』(1987年9月)以降はパ

その後、PILはライドン中心の流動的なプロジェクトとなり、『ALBUM』(1986年2月)を発表。『HAPPY?』(1987年9月)以降はパーマネントなバンド編成となり、『ザット・ホワット・イズ・ノット』(1992年2月)を最後に活動を休止。2009年12月のイギリス・ミニツアーで活動を再開した。

ポリス (バンド) 新たなアルバムを製作するため

1986年に、新たなアルバムを製作するため、再び3人は集まった。ところが、製作は順調に進まず、3年振りの新作シングル「高校教師’86」を発表するに留まり(コープランドが落馬で足を骨折。このため、「高校教師’86」のドラムはすべて打ち込みとなっている)、これを境に再び活動を停止。3人はそれぞれソロ・キャリアを歩むことになる。

デペッシュ・モード Stripped

1986年 に発表されたシングル「Stripped」は、実験作として発表された特異な楽曲であり、続いて発表された『ブラック・セレブレーション』で効果的に使われ、次第に彼らの特色となる立体的でアンビエントを取り入れた音響効果の片鱗を伺わせる作品となった。『 ブラック・セレブレーション 』はその名の如く歌詞も死や闇といったものからの影響が色濃く出ている作品である。

1985
ザ・スミス 1985年はザ・スミスにとって、スタジオでサード・アルバムの収録をしながら、イギリスとアメリカでツアーを続ける苛酷な1年だった。 翌年

1985年はザ・スミスにとって、スタジオでサード・アルバムの収録をしながら、イギリスとアメリカでツアーを続ける苛酷な1年だった。 翌年 、まずシングル「ビッグマウス・ストライクス・アゲイン」がリリースされ、間をおかずに1986年6月、アルバム『 ザ・クイーン・イズ・デッド 』が発売された。UKチャートでは最高2位となり 、音楽誌「SPIN」の1989年の特集「これまで制作された最高のアルバム」では第1位に選ばれた。その他NME紙やメロディ・メイカー紙など、数多くのロック誌や音楽出版物の行う「グレイテスト・アルバム」企画では、『ザ・クイーン・イズ・デッド』がしばしばトップ10にランクインしている。 2006年 6月には、NMEは全紙面を使って『クイーン・イズ・デッド』発売20周年特集を組んだ。また、同アルバム収録の「ゼア・イズ・ア・ライト・ネヴァー・ゴーズ・アウト」は活動中にシングルカットされたものではなかったにもかかわらず、2012年現在でも最もファンの支持を集める曲の一つである 。