1997年、『ソングス・フロム・ノーザン・ブリテン』発表。来日公演。
1997年、オリジナル・メンバーによるラインナップで再結成し、19年ぶりに復帰。 オズフェスト のヘッドライナーをはじめ欧米各地では大歓迎を持って迎えられた。1998年にライヴ盤『REUNION』を発表。
1997年3月26日、2ndアルバム『イン・イット・フォー・ザ・マネー』を日本で先行発売。ちなみに発売直前に、タイトルにちなんでメンバーがバスキング(路上ライヴで小銭などを稼ぐこと)をしているジャケットに変更されることになったが、日本では差し替えが間に合わなかったためそのまま発売された。同月31日、先行シングル「リチャード三世」をリリース。それまでの明るいイメージを覆すヘヴィな曲ながら、チャート2位を記録。
「コワルスキー」を先行シングルに、『 バニシング・ポイント 』は1997年の6月に発売された。アルバムは ダブ の影響が色濃い作風となった。クリエイションと深い関係を持つライターの伊藤英嗣は「ダブからロックンロールまで多彩な要素が自然に消化されたアルバム」と評した 。プロデューサーは ブレンダン・リンチ が務め、セカンドシングルになった「スター」では オーガスタス・パブロ がピアニカで参加した 。「コワルスキー」のミュージックビデオは、1996年のシングル「 ザ・ビッグ・マン&ザ・スクリーム・チーム・ミート・ザ・バーミー・アーミー・アップタウン 」で競演した アーヴィン・ウェルシュ の監修の下、元ジーザス&メリーチェインの ダグラス・ハート が監督を務め 、モデルの ケイト・モス が出演した 。『 バニシング・ポイント 』は1971年アメリカで公開された ロードムービー で、公開から年月が経った当時でもカルト的な人気を持っていた。アルバムタイトルはこの映画から採られたもので、「コワルスキー」はこの映画の主人公の名前である。同曲中には映画の中から取られた台詞、音声がいくつもサンプリングされている。同年10月には エイドリアン・シャーウッド によるダブ・リミックス・アルバム『 エコー・デック 』が発売された。
V2と契約したバンドは、 1997年 、シングル「ローカル・ボーイ・イン・ザ・フォトグラフ」でメジャーデビュー。続く3枚のシングルはリリースごとに少しずつチャート上位にランクインしていき、1stアルバム『ワード・ゲッツ・アラウンド』は初登場で6位にチャートイン。そのまま100万枚を売り上げて ゴールド・ディスク 獲得の大ヒットとなった。翌年の ブリット・アワード では最優秀新人賞を受賞するなど、 ブリットポップ ブームが終息に向かい出していた当時にあっては、期待の大型新人として迎えられた。
10月に正式加入。
1996年 9月、 ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン (UCL)の学生だったクリスとジョニーは、学年最初の週に学生寮のラムゼー・ホール(Ramsay Hall)で知り合い、その後1年間バンド結成の計画を練った。
1996年8月にチェスター界隈で有名なドラマーだったアンディ・ラスボーンがバンドに参加し
1996年に3rdアルバム『ハッピー・ポケット』を発売。同作はイギリスと日本では発売されたが、アメリカではレーベル側が販売を拒否したため、アメリカでは発売されなかった。同年にゴー・ディスクズは、 ユニバーサル ミュージック グループ に買収されたことにより解体。自主スタジオのシャビー・ロード・スタジオも売却することとなった 。
1996年 1月 にマークが脱退。