1997年2月に完成した
1995年から 1997年 まで多くの EP を発表しながら、1997年2月に1stアルバム『 アタック・オブ・ザ・グレイ・ランターン 』を発表。プロデュースはポール自ら担当した。それまでのパンキッシュなEPの楽曲とは打って変わり、グラムロックや ニュー・ウェイヴ 、 プログレ 、 グランジ など様々な要素を取り入れた耽美的でグラマラスなギターロックは注目を集め、音楽雑誌からも「 オアシス 以来のベスト・デビュー・アルバム 」と絶賛され、 ブリットポップ ・ムーヴメントの終焉を鮮烈なデビューで飾る。初登場全英1位を獲得。アンディが加入する頃にはアルバムのレコーディングの大半は終わっていたが、バンドはスタジオに戻り数曲のドラムトラックの録り直しを行っている 。ポールによるとアルバムは『ザ・グーン・ショウ』や『 モンティ・パイソン 』といったコメディ番組から影響を受けたコンセプチュアルな筋書きを含んでいると説明している 。
1997年 5月、初のフルアルバム『 ポリシーン (Polythene)』がリリースされ、日本でもデビューする。 グランジ の影響を強く受けたヘヴィなサウンドを特徴としていたため、UKの音楽メディアには「 スマッシング・パンプキンズ に対するイギリスからの回答」と評されることが多かった。
一躍スターダムにのし上がり、人気も頂点に達した彼らだが、ジャーヴィスは周囲からの異常な賞賛と、過度の期待がために徐々に精神を蝕まれていき、そこから逃避するかのように酒とドラッグに溺れていった。 1997年 、ブームの狂騒に嫌悪と無気力感を覚えたジャーヴィスは、これまでと作風の異なる陰鬱な新曲「ヘルプ・ジ・エイジド」を作るが、この曲がパルプに相応しくないと感じたラッセル・シニアがバンドを脱退する。 1983年 に加入したラッセルは、ジャービスを除けば最も古いメンバーであった。
アルジーは、 1997年 にタンクを再結成させライブツアーを再開。 1999年 8月に初来日、 2002年 には15年ぶりのスタジオ・アルバム『Still At War』を発表した。
1997年 のデビュー当時、イギリスでは ブリットポップ はすでに終焉を迎え、 トラヴィス を中心としたバラード・バンドが席巻していた。そんな中、アイドルワイルドはむしろ パール・ジャム や ニルヴァーナ の影響を強く受けたノイジーなパンク・サウンドを特徴としていた。
2人はPectoralzという名前でグループを結成し、1997年には一緒に最初の曲を書き始め、毎晩練習した。
1997年、『ソングス・フロム・ノーザン・ブリテン』発表。来日公演。
1997年、オリジナル・メンバーによるラインナップで再結成し、19年ぶりに復帰。 オズフェスト のヘッドライナーをはじめ欧米各地では大歓迎を持って迎えられた。1998年にライヴ盤『REUNION』を発表。
1997年3月26日、2ndアルバム『イン・イット・フォー・ザ・マネー』を日本で先行発売。ちなみに発売直前に、タイトルにちなんでメンバーがバスキング(路上ライヴで小銭などを稼ぐこと)をしているジャケットに変更されることになったが、日本では差し替えが間に合わなかったためそのまま発売された。同月31日、先行シングル「リチャード三世」をリリース。それまでの明るいイメージを覆すヘヴィな曲ながら、チャート2位を記録。