United Kingdom

1998
コールドプレイ 現在のバンドの編成が完成

1998年 初め、同じ学生寮に住んでいたウィルがドラマーとして加わり、現在のバンドの編成が完成した。ウィルがメンバーになった数日後にはローレル・ツリーでのデビューライブを予定していたため、「慌てて」バンド名をスターフィッシュ(Starfish)に改名した。多才なウィルは、すでにピアノやギター、ベース、 ヴァイオリン 、そして ティン・ホイッスル までも演奏できたので、バンドに加わるとドラムに転向し、経験がほとんどなかったにもかかわらずすぐに習得してしまった。数週間後、同じ大学の学生だった友人ティム・クロンプトンから「コールドプレイ」というバンド名を譲り受け、自らのバンドの名前にした。

ファットボーイ・スリム 1998年に2作目のアルバム”You’ve Come A Long Way, Baby” 、2000年に3作目のアルバム”Halfway

1998年に2作目のアルバム”You’ve Come A Long Way, Baby” 、2000年に3作目のアルバム”Halfway Between the Gutter and the Stars” 、2004年に4作目のアルバム”Palookaville”を発売 。

アッシュ (バンド) 『ニュー・クリアー・サウンズ』を発表

1998年 、難産の末にセカンド・アルバム『ニュー・クリアー・サウンズ』を発表。ブームの狂騒が10代のバンドに与えた重圧は大きく、その結果、陰鬱なテーマを持って完成したこのアルバムは前作に比べ興行的に振るわず、苦戦を強いられることになった(ティム自身「やはり他のアルバムに比べればいい曲は少ないかな」と語っている)。

プライマル・スクリーム 1998年にカットされたシングル「イフ・ゼイ・ムーヴ・キル・エム」には マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン

1998年にカットされたシングル「イフ・ゼイ・ムーヴ・キル・エム」には マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン のケヴィン・シールズによるリミックスが収録された。このシングルには更にジーザス&メリー・チェインの「ダークランズ」のカバー「バッドランズ」が収録されている 。メリーチェインはこの年クリエイションに復帰した。

スーパーグラス 4月21日、『イン・イット・フォー・ザ・マネー』を本国で発表。前作から急激な変化を見せた内容は、メディアから幅広く絶賛された。全英2位、プラ

4月21日、『イン・イット・フォー・ザ・マネー』を本国で発表。前作から急激な変化を見せた内容は、メディアから幅広く絶賛された。全英2位、プラチナム・セールスを記録し、全世界で100万枚以上を売り上げるなど、セールス面でも成功を収めた。6月9日、「サン・ヒッツ・ザ・スカイ」をシングルカット。10位を記録。アメリカでは「チープスケート」がシングルカットされた。7月、 フー・ファイターズ のアメリカ・カナダツアー13公演に参加。これ以後、フー・ファイターズとは何度も一緒にツアーを行っている。9月、2度目の来日公演。名古屋・福岡・大阪・東京にて全5公演。10月6日、「レイト・イン・ザ・デイ」をシングルカット。18位を記録。12月、 オアシス の ウェンブリー・アリーナ 3日連続公演にゲスト出演。1998年5月、3枚目のアルバムのレコーディングのために、前作と同じくセルフ・プロデュースでスタジオ入りする。ミキシングもメンバー自ら行ったため制作が長引き、結局アルバムが全て完成したのは翌年の夏頃となった。アルバムのレコーディング以外に、メンバーはそれぞれ課外活動を行っている。ギャズとミックは、 ドクター・ジョン のレコーディングにゲスト参加。2人がギターとベースを演奏した「ヴォイシス・イン・マイ・ヘッド」という曲は、アルバム『 アナザー・ゾーン 』に収録された。一方、ダニーはガールフレンドのパール・ロウらと「ロジャー」というバンドを結成。唯一のアルバム『ウォーク・イン・ザ・パーク』を発表している。ちなみにどちらのアルバムも日本盤が発売されている。

ブレット・フォー・マイ・ヴァレンタイン 結成

1998年 に結成し、

ミューズ (バンド) 以後、数年は ロンドン や マンチェスター でライブ活動を行う。1998年、マネジメント企業に誘われて行った ニューヨーク と

以後、数年は ロンドン や マンチェスター でライブ活動を行う。1998年、マネジメント企業に誘われて行った ニューヨーク と ロサンゼルス での小さなギグを経て、 インディレーベル からEPを2作発表するとイギリスのインディーズ音楽プレスに注目され、 ワーナー・ミュージック・グループ 傘下のマヴェリックと契約 。

フィーダー (バンド) 同年10月にUKでリリースされたシングル「ハイ(High)」はスマッシュヒットとなり、『ポリシーン』に追加収録されることとなった。フィーダー

同年10月にUKでリリースされたシングル「ハイ(High)」はスマッシュヒットとなり、『ポリシーン』に追加収録されることとなった。フィーダーの代表曲のひとつで、日本でもミニアルバムとしてリリースされている。この曲が収録された『ポリシーン』は、アメリカでも エレクトラ・レコード からリリースされている。1998年はほぼUK・USを周るツアーが中心となったが、このツアーはかなり過酷なものだったという。

パルプ (バンド) 残った5人によって 1998年

残った5人によって 1998年 に発表されたアルバム『ディス・イズ・ハードコア』は、全編を通して暗く重いトーンの仕上がりとなった。全英1位を記録こそしたが周囲の期待を裏切る内容となったためか、前作から大きく売り上げを落とし、奇しくも ブラー の デーモン・アルバーン がこの時期発言した「ブリットポップは死んだ」ということを裏付けるかのような結果となってしまった。

1997
マンサン クローズド・フォー・ビジネス

1997年10月にEP『クローズド・フォー・ビジネス』をリリースした後、バンドは2ndアルバムのスタジオセッションを始める前に曲が不足していることに気付き、前の米国ツアーの音合わせの際にたくさんの音楽的アイデアが議論された。スランプに陥ったポールは マルキ・ド・サド の『 ソドム百二十日あるいは淫蕩学校 』や A・A・ミルン の『 クマのプーさん 』、 L・ロン・ハバード の『 ダイアネティックス 』といった本の要点を調べ、それらの本をベースにした歌詞をまとめた。