United Kingdom

1999
コールドプレイ パーロフォン と契約

1999年春にEMIの傘下 パーロフォン と契約した。 グラストンベリー・フェスティバル に初登場後、コールドプレイは新しいEPの製作に取り掛かる。『The Blue Room』と名づけられたEPは10月に5000枚がリリースされ、シングルカットされた『Bigger Stronger』はRadio 1で放送、知名度獲得の一助となった。その途中クリスとウィルがバンドの方針をめぐって喧嘩をしてしまう。その後和解するが、U2や R.E.M. のようなバンドを見習い、メンバー個人の尊重や ドラッグ をしないというバンドとしてのルールが決められた。ちなみに、ウィルの脱退騒動は、1stアルバム『パラシューツ』の収録曲「Trouble」のインスピレーションとなった。

ファットボーイ・スリム 私生活では、1999年にテレビ司会者のゾーイ・ボールと結婚し2人の子供を授かるが、2016年に離婚を発表 。

私生活では、1999年にテレビ司会者のゾーイ・ボールと結婚し2人の子供を授かるが、2016年に離婚を発表 。

ステレオフォニックス 1stアルバムの好評をうけてデビューシングルの「ローカル・ボーイ~」を再リリースすると(全英15位)、 1999年

1stアルバムの好評をうけてデビューシングルの「ローカル・ボーイ~」を再リリースすると(全英15位)、 1999年 春には早くも2ndアルバム『 パフォーマンス・アンド・カクテルズ 』を発表し初登場1位を獲得。その後もアルバムは1年近くチャートインし続けるロングヒットとなってプラチナム・セールスを記録し、シングルカットされた5曲もヒットした。中でも先行シングルとなった「ザ・バーテンダー・アンド・ザ・スィーフ」(全英3位)は初期の代表曲となっている。

プライマル・スクリーム 1999年までにギレスピーとマッギーは和解した 。マッギーは同年の11月にクリエイションの閉鎖を宣言し、2000年1月に発売された『

1999年までにギレスピーとマッギーは和解した 。マッギーは同年の11月にクリエイションの閉鎖を宣言し、2000年1月に発売された『 XTRMNTR (エクスターミネーター)』はクリエイション・レコーズ最後のアルバムとなった 。ケヴィン・シールズ、 ケミカル・ブラザーズ 、 ニュー・オーダー の バーナード・サムナー 等が参加したこのアルバムは、今までにない政治的姿勢を打ち出した攻撃的な歌詞が並んだ 。 パブリック・イメージ・リミテッド の名が引き合いに出されることも多かったこのアルバムは、売り上げはさほど伸びかったものの、多数のメディアから好意的なレビューを贈られた 。久方ぶりに制作に深く関与したマッギーは「間違いなくこの年のベストアルバムに入る」と絶賛した 。「10年後に振り返ったとき、皆プライマル・スクリームはいいバンドだったと口にする 」とも。その言葉は現実のものとなり、2009年にNME誌が発表した2000年代のベストアルバム100選の中で、このアルバムは3位にランクされた 。

スーパーグラス 8月、アメリカのコメディ映画『デッド・マン・オン・キャンパス』の サウンドトラック

8月、アメリカのコメディ映画『デッド・マン・オン・キャンパス』の サウンドトラック に「ウィ・スティル・ニード・モア」を提供。この曲は元々「レイト・イン・ザ・デイ」のカップリング曲だったが、サントラ用に ダスト・ブラザーズ のプロデュースで再録音されている。アメリカのみでシングルカットされ、ピラミッド状に積み上げられたテレビの山にメンバーが乗った車が突っ込むという派手なPVが制作された。1999年5月24日、3rdアルバムからの先行シングル「パンピン・オン・ユア・ステレオ」をリリース。 ジム・ヘンソン ・クリーチャー・ショップによる マペット を用いたユニークなPVが話題になり、チャート11位を記録した。9月6日、先行シングル第2弾「ムーヴィン」をリリース。9位を記録。

ミューズ (バンド) 1999年に ジョン・レッキー のプロデュースでデビュー・アルバム『 ショウビズ 』を制作。作風の類似性からレッキーが過去に手がけた

1999年に ジョン・レッキー のプロデュースでデビュー・アルバム『 ショウビズ 』を制作。作風の類似性からレッキーが過去に手がけた レディオヘッド と比較される一方で、 全英アルバムチャート で29位を記録。 NMEアワーズ の新人賞を受賞した。

フィーダー (バンド) 1999年 7月、前述したツアーの合間にレコーディングが行なわれ、2ndアルバム『 イエスタディ・ウェント・トゥー・スーン

1999年 7月、前述したツアーの合間にレコーディングが行なわれ、2ndアルバム『 イエスタディ・ウェント・トゥー・スーン (Yesterday Went Too Soon)』がリリースされる。シングルカット曲の中でも、ツアーでの経験からインスパイアされた曲だという「インソムニア(Insomnia)」と「イエスタディ・ウェント・トゥー・スーン」は、共にUKチャートで「ハイ」を上回るヒット曲となり、 BBC の番組「 トップ・オブ・ザ・ポップス 」にも出演した。 そして、同年に開催された フジ・ロック・フェスティバル に初出演し、これが初来日となった。それ以前からUKでライブバンドとしての地位を固めていたこともあって大成功を収め、タカにとっては凱旋帰国と言うべきものであった。 2000年 1月には初の単独来日公演が行なわれている。

1998
マンサン SIX

1998年 9月、2ndアルバム『 SIX 』を発表。タイトル通り全英6位に入った。前作に引き続き、ポール自らがプロデュースを担当した本作は、ポールも当時「僕らのアルバムと マニックス のアルバムが出れば、すべては変わるはずだよ」と自信たっぷりに話していた。しかし7、8分をゆうに超える大作曲を多く含む、前作以上にプログレ色の濃い複雑怪奇で実験的な作風にプレスは賛否両論を巻き起こした。アルバムはバンド最高位を記録したシングル「レガシー」(全英7位)と「ビーイング・ア・ガール」が収録されており、他にも「ネガティヴ」や アーサー・ベイカー プロデュースのアルバムとは別バージョンの「SIX」がシングルカットされた。

コールドプレイ Safety

コールドプレイは1998年5月に EP 『Safety』をリリースする。

コールドプレイ 現在のバンドの編成が完成

1998年 初め、同じ学生寮に住んでいたウィルがドラマーとして加わり、現在のバンドの編成が完成した。ウィルがメンバーになった数日後にはローレル・ツリーでのデビューライブを予定していたため、「慌てて」バンド名をスターフィッシュ(Starfish)に改名した。多才なウィルは、すでにピアノやギター、ベース、 ヴァイオリン 、そして ティン・ホイッスル までも演奏できたので、バンドに加わるとドラムに転向し、経験がほとんどなかったにもかかわらずすぐに習得してしまった。数週間後、同じ大学の学生だった友人ティム・クロンプトンから「コールドプレイ」というバンド名を譲り受け、自らのバンドの名前にした。