コールドプレイは2000年8月に日本で サマーソニック に出演。
『SIX』発表後の長期のツアーに疲れたバンドは一旦活動を休止し、ポールとチャドが スペイン 南部の世界的な観光地として知られる アンダルシア の コテージ を借りて、アコースティック・ギターで二人きりで曲作りがされた。またレーベルの進言により、プロデュースは初めて外部の人間が担当することになり、 XTC や ポリス 、 フィル・コリンズ などを担当した ヒュー・パジャム が起用され、レコーディングは ピンク・フロイド のギタリストである デヴィッド・ギルモア が所有するアストリア・スタジオにて行われた。そして 2000年 8月に発表された3rdアルバム『 リトル・キックス 』は、複雑で陰鬱な前作に対する反動もあって、楽曲の多くが前作から一転してストレートでメロウなラヴ・ソングで占められるというドラスティックな変化が見られた。これについて、ポールは当時「『SIX』の商業的批評的な落胆から、新しいアルバムの方向性に関してプレッシャーを感じなくなっていた」と話す一方で、「シンプルだから率直さを感じさせるし-正直すぎるくらいだよね? 実際、みんなが気に入ってくれるかどうか、ちょっと不安だったよ」とも話していた。皮肉にもその発言通りアルバムは全英12位と落ち込み、プレスからも芳しい評価を得られなかった。チャドが「キーボードが多用されているせいで僕らの音楽のように聴こえなかった」と話すなど、メンバーも『リトル・キックス』に関して否定的な意見を述べている。ちなみに、このアルバム発表後に サマーソニック の第1回に参加している。
発売に先立って 2000年 3月にシングル「 Shiver 」をリリースした。
2000年1月、3度目の来日公演。東京・名古屋・大阪にて全4公演。同年7月、 オアシス の ダブリン 公演、また アラニス・モリセット の イスラエル 公演にそれぞれゲスト出演。10月~11月、 パール・ジャム のアメリカ・カナダツアー18公演に参加。2001年2月、南フランスの リヴィエラ でアルバム用の曲作りを開始。7月7日、 レディオヘッド のオックスフォード公演にゲスト出演。
2000年秋から新しいアルバムのレコーディングに着手したミューズは、 シンセサイザー を積極的に取り入れる一方、 ベース にエフェクトを掛けて音を太くし、多重録音で ギター を重ねあわせることで独特の音楽性を確立。2001年に発表された2ndアルバム『 オリジン・オブ・シンメトリー 』は全英チャート3位を記録。
2000年 発表のセカンド・アルバム『100ブロークン・ウィンドウズ』からは、それまでのパンク路線から離れて独自の音楽性を追求。その成果が結実した 2002年 発表のサード・アルバム『リモート・パート』では全英3位、10万枚以上を売り上げるセールスを記録。しかし 2005年 発表のアルバム『ウォーニングズ / プロミシズ』を最後に所属していた EMI を離れ、インディーでの活動に転じる。
2000年、『ハウディ!』発表。ポール・クインが同アルバムのドラムパートのレコーディング終了をもって脱退し、フランシス・マクドナルドが再加入。所属していた クリエイション・レコーズ が1999年に閉鎖したため、同アルバムはクリエイションの親会社であった ソニー 系列の コロムビア・レコード から発売された。 サマーソニック 00に参加。
コールドプレイは1999年11月からデビューアルバムの製作に取り組んでいた
翌 1999年 4月に、2月にたった4日間で収録を済ませていたEP『Brothers & Sisters』をリリースした。
1999年に ジョン・レッキー のプロデュースでデビュー・アルバム『 ショウビズ 』を制作。作風の類似性からレッキーが過去に手がけた レディオヘッド と比較される一方で、 全英アルバムチャート で29位を記録。 NMEアワーズ の新人賞を受賞した。