2001年 1月、「フール」が『リトル・キックス』からシングルカットされるのに先立ち、ポールは NME に3月か4月にスタジオ入りして出来るだけ早く新曲を出したいと告げ
パーヴァは ベガーズ・バンケット 傘下の マントラ・レコーディングス と契約を果たし、 2001年 から 2003年 にかけてシングル3枚とアルバム1枚をリリースした。
2001年9月11日の アメリカ同時多発テロ事件 を受けてアルバム制作は頓挫した。現実のものとなってしまった「ボム・ザ・ペンタゴン」は「ライズ」へ、政治的な歌詞が目立った「ドレスデン」は「デトロイト」へ曲名が変更された。当初4月に発売がアナウンスされたアルバムの発売は結局8月まで延期された(日本盤は7月31日)。同年の MTV ヨーロッパ・ミュージック・アワードのビデオ部門にノミネートされた「ミス・ルシファー」を先行シングルに『 イーヴル・ヒート 』は2002年8月5日に発売された。前作の路線を継承しつつ「パンクっぽさは減った 」(マニ)このアルバムには、久方ぶりの参加となるアンドリュー・ウェザオール率いる トゥー・ローンズ・スウォーズメン 、ケヴィン・シールズ等がプロデュースを務め、ジーザス&メリーチェインの ジム・リード 、 ロバート・プラント 、ケイト・モスがゲスト参加した 。
2001年 、アレックス・ターナーとジェイミー・クックが、クリスマスにギターを入手。
同郷 グラスゴー のアート系大学の同期であったアレックスとボブ(アレックスが音楽仲間からベースを譲り受けたのがきっかけで 画家 志望だったボブを説得した)が中心となり、「女の子が踊れるような音楽を作る」という理想のもと、ドラマーに以前アレックスと The Yummy Fur ( 英語版 ) と言うバンドを組んでいたポール・トムソン(The Yummy Furでもドラムを担当していたが、この時はギタリストとして加入させるつもりだった。)ギタリストにKamerakinoという ジャズ・フュージョン バンドでプレイしていたニコラス・マッカーシー(この時マッカーシーはドラムが叩けると嘘をついて加入したと言う。その後トムソンとパートを交換するという形でギタリストになった。)を迎え。 2001年 にバンドを結成。そのまま学内や地元の パブ などで演奏を始め、コツコツとスコットランドのインディ・シーンで活動を開始。ほどなく「ダーツ・オヴ・プレジャー」がインディ・ファンから注目を集めると、その直後に発表されたシングル「テイク・ミー・アウト」が爆発的な反響を呼び、アルバム・デビュー前にもかかわらず、 NME 誌を中心にメディアが挙って彼らを取り上げ、大型新人として全英の注目を集めた。
2001年 に、ジャービスが尊敬する スコット・ウォーカー にプロデュースを依頼した『ウィ・ラヴ・ライフ』を発表するころには ブリットポップ ブームは完全に終息しており、チャートでは全英6位を記録。 2002年 にベストアルバムを発売したが全英71位にとどまり、メンバーはこれ以上のバンドの存続は困難と判断し、活動停止を決断した。
2001年 4月にリリースされた3rdアルバム『 エコー・パーク (Echo Park)』は、プロデューサーに ピクシーズ 、 フー・ファイターズ などを手掛けた ギル・ノートン を起用。先行シングル「バック・ロジャーズ(Buck Rogers)」「セヴン・デイズ・イン・ザ・サン(Seven Days In The Sun)」が立て続けにヒットし、アルバムも初登場5位を記録している。特に”Buck Rogers” “Seven Days In The Sun”の2曲と、「ジャスト・ア・デイ(Just A Day)」は、 プレイステーション2 のゲーム「 グランツーリスモ3 A-spec 」に使用されたことで爆発的ヒットとなる。”Just A Day”はシングルのB面曲として既にリリースされていたものの、あまりの反響の大きさからA面曲としてリリースされた。
2001年秋、『DOWN TO EARTH』を発表。2002年には、 エリザベス2世 女王在位50周年記念コンサートにも出演した。2003年12月には英国の自宅庭で四輪バイクに乗っていた際に事故に遭遇、瀕死の重傷を負うが、2004年夏のオズフェストで見事に復活している。
11月には『エコー・パーク』のヒットにより、デビュー当初からフィーダーを取り上げていた雑誌「 ケラング! 」が主催する”2001 Kerrang! awards”で”Best British Live Act”を受賞した。
2001年 の『 エキサイター 』では、かつての LFO の中心メンバーで、 ビョーク らとの仕事で実績のある マーク・ベル をプロデューサーに迎える。 IDM など先進的な テクノ や ハウス の要素を盛り込み、従来のアルバムとは毛色の違うものとなったが、評価は二分され NME や ローリング・ストーン といった雑誌は好意的に受けとったが、多くのメディアが否定的な見解を見せた。売り上げは340万枚。