同年10月、4枚目のアルバムのレコーディングをスタート。前作について「自分たちでプロデュースしていなければ、もっと率直な音になったんじゃないか」という反省の元に、プロデューサーには ベック や エール を手がけたトニー・ホッファーを起用 。2002年6月28日、 デヴィッド・ボウイ 主催のメルトダウン・フェスティバルに出演。4thアルバム収録の新曲を初披露。7月1日、4thアルバムからの先行シングル「ネヴァー・ダン・ナッシング・ライク・ザット・ビフォー」を7インチ盤・1500枚限定でリリース。9月16日、先行シングル第2弾「グレイス」をリリース、13位を記録した。9月27日、4thアルバム発売を記念したリリース・パーティを開催。 レディオヘッド 、 プロディジー 、 スウェード 、 トラヴィス 、 ブラー 、 クーパー・テンプル・クロース のメンバーらが出席し、 グレアム・コクソン はステージで「リチャード三世」のカバーを披露した 。9月30日、4thアルバム『ライフ・オン・アザー・プラネッツ』発表。 T・レックス ばりのカラフルな グラム・ロック 色の強い作品に仕上がり、チャートでは9位、 ゴールド・ディスク を記録した。
その後、ハルステッドとゴスウェル、マカッチョンの3人は モハーヴィ3 を結成する。ハルステッドは 2002年 にファースト・ソロ・アルバム『Sleeping on Roads』でソロ・デビューを果たす。ゴスウェルも 2004年 にソロ・アルバム『Waves Are Universal』をリリースしている。マカッチョンも自身のバンド、 ザ・ルース・サルート で活動している。セイヴィルは以前結成し、休止状態だった モンスター・ムーヴィー を再始動させ、スコットは ロウゴールド ( 英語版 ) 、インナー・スリーヴを経て、 テレヴァイズ のメンバーとして活動、ソロの エレクトロニック ミュージシャンとしても作品を発表するなど旺盛に活動。
2002年11月、なんにんかの元メンバーは、 クラス・コレクティヴ として「戦争に反対する声」を伝える「Your Country Needs You」のコンサートをロンドンのエリザベス・ホールでおこなった。 ベンジャミン・ブリテン の「戦争レクイエム」や他のパンクロックアーチスト、元クラスのピーター・ライトのバンド「Judas2」などが演奏した。 2003年10月、クラス・コレクティヴは、ランボー、リバティーン、バウチャーといった元メンバー、Coldcutレーベルのマット・ブラックなどのジャズミュージシャンと協力して、 クラス・アジェンダ に名前を変更した 。
2002年 の夏、アンディ・ニコルソン(ベース)とマット・ヘルダース(ドラム)が加入。「Bang Bang」というバンド名で、アレックスのガレージにてバンド練習を開始。主に レッド・ツェッペリン などのカバー曲を演奏し練習。後にバンド名を「Arctic Monkeys」に変更。このバンド名は、ジェイミーが命名した。
2002年 の4月と5月にバンドはThe Masonsという名前でシークレットギグを行った。ライブごとに10曲の短い曲を演奏し、半分は昔のシングル曲、もう半分は4枚目のアルバムに収録される曲という具合だった。とあるウェブサイトではこれがバンドの最後のツアーになるだろうと言われていたが、当初この意見は否定されていた 。
10月にストーヴがバンドの口座から金を盗んでクビになったり、ポールの指に腫瘍 が見つかったり、チャドが腕にけがを負い4-5ヶ月ギターが弾けなくなるなどバンドを取り巻く環境は悪化の一途を辿った。
8月にチャドが公式サイトでEPではなく4枚目のフルアルバムのレコーディングが途中まで終わり、『リトル・キックス』よりもハードな内容になり、12月にシングルをリリースする予定であると報告した。
4月 に公式サイトにて新たに8曲のレコーディングとミキシングが終わり、 5月 もレコーディングを継続する旨を伝えた。
11月には『エコー・パーク』のヒットにより、デビュー当初からフィーダーを取り上げていた雑誌「 ケラング! 」が主催する”2001 Kerrang! awards”で”Best British Live Act”を受賞した。
2001年 の『 エキサイター 』では、かつての LFO の中心メンバーで、 ビョーク らとの仕事で実績のある マーク・ベル をプロデューサーに迎える。 IDM など先進的な テクノ や ハウス の要素を盛り込み、従来のアルバムとは毛色の違うものとなったが、評価は二分され NME や ローリング・ストーン といった雑誌は好意的に受けとったが、多くのメディアが否定的な見解を見せた。売り上げは340万枚。