10月、チャドがバンドの作曲に時間を割きたいという意向により、予定されていたスタジオでのセッションが中止された事を明らかにした 。
2002年8月に2ndアルバム 『静寂の世界』 ( A Rush of the Blood to the Head )をリリースした。オープニング・トラックの「Politik」はアメリカ同時多発テロ事件の数日後に書かれた。このアルバムで人気を博した「In My Place」、「クロックス(Clocks)」、そしてバラード曲である「The Scientist」といった数々の曲が生まれた。
バンドは2002年6月から 2003年 9月まで1年以上にわたってグラストンベリー・ロック・フェスティバルなどのロック・フェスを皮切りに、「A Rush of Blood to the Head Tour」を行った。
2002年 に ベガーズ・バンケット・レコード からアルバム『ブラックンド・スカイ(Blackened Sky)』を発表しインディーズ・デビュー。
2002年7月13日、地元ブライトン・ビーチでの2度目のコンサートは25万人を集める大成功を収めた。しかし7月16日には25歳のオーストラリア人女性がコンサートの事故が元で死亡。以降、同様のライブは当局により禁止されていたが、2006年の6月にノーマン主催の ネス湖 でのRockness Festivalを開催し、2007年1月には再び地元のブライトン市民限定で2万人規模のコンサートを行った。2002年には、本名を クエンティン・レオ・クック ( Quentin Leo Cook ) から ノーマン・クエンティン・クック ( Norman Quentin Cook ) へ正式に改名している 。
「5人目のメンバー」とも呼ばれているフィルは、2002年までマネージャーを務め
2002年 には、グラミー賞の「最優秀オルタナティヴ・ミュージック・アルバム」を受賞した。
ボビー・ギレスピーの書く歌詞は『XTRMNTR』のツアー中から更に過激になった。ツアー中に披露された新曲は「ボム・ザ・ペンタゴン」、「ドレスデン」といったもので、反米姿勢を前面に打ち出していた 。彼らはソニー傘下の コロムビア・レコード へ移籍し、2002年初頭に発売するアルバムの制作を進めていた。
同年10月、4枚目のアルバムのレコーディングをスタート。前作について「自分たちでプロデュースしていなければ、もっと率直な音になったんじゃないか」という反省の元に、プロデューサーには ベック や エール を手がけたトニー・ホッファーを起用 。2002年6月28日、 デヴィッド・ボウイ 主催のメルトダウン・フェスティバルに出演。4thアルバム収録の新曲を初披露。7月1日、4thアルバムからの先行シングル「ネヴァー・ダン・ナッシング・ライク・ザット・ビフォー」を7インチ盤・1500枚限定でリリース。9月16日、先行シングル第2弾「グレイス」をリリース、13位を記録した。9月27日、4thアルバム発売を記念したリリース・パーティを開催。 レディオヘッド 、 プロディジー 、 スウェード 、 トラヴィス 、 ブラー 、 クーパー・テンプル・クロース のメンバーらが出席し、 グレアム・コクソン はステージで「リチャード三世」のカバーを披露した 。9月30日、4thアルバム『ライフ・オン・アザー・プラネッツ』発表。 T・レックス ばりのカラフルな グラム・ロック 色の強い作品に仕上がり、チャートでは9位、 ゴールド・ディスク を記録した。
その後、ハルステッドとゴスウェル、マカッチョンの3人は モハーヴィ3 を結成する。ハルステッドは 2002年 にファースト・ソロ・アルバム『Sleeping on Roads』でソロ・デビューを果たす。ゴスウェルも 2004年 にソロ・アルバム『Waves Are Universal』をリリースしている。マカッチョンも自身のバンド、 ザ・ルース・サルート で活動している。セイヴィルは以前結成し、休止状態だった モンスター・ムーヴィー を再始動させ、スコットは ロウゴールド ( 英語版 ) 、インナー・スリーヴを経て、 テレヴァイズ のメンバーとして活動、ソロの エレクトロニック ミュージシャンとしても作品を発表するなど旺盛に活動。