2003年の『 アブソルーション 』では前作のスタイルを踏襲し、「過剰なまでの轟音ギターのアンサンブルと切なく鋭いボーカル」 をより推し進めたサウンドを展開。「エピック・ロック(壮大なロック)」と形容された。発売初週の売上は前作の倍を記録し、全英初登場1位 。 イギリス を含む ヨーロッパ 全土で100万枚を売り上げ、初めてチャートインした アメリカ でもゴールドを獲得、全世界トータル売上は300万枚を超える大ヒットとなった。また、 ブリット・アワード では最優秀アルバム、最優秀ロック・アクトなど4部門にノミネートされた。
2003年に、 ロックの殿堂 入りを果たし、授賞式ではスティングの結婚式以来11年振りに集結。プレゼンターは、以前からポリスのファンで、スティングとはかつて共演した グウェン・ステファニー が務め、素人時代にスティングからサインを貰った時の写真を披露し、当時のことを回想していた。その後、「 ロクサーヌ 」と「孤独のメッセージ」を披露し、「見つめていたい」ではグウェンと、同席していた エアロスミス の スティーヴン・タイラー 、 ジョン・メイヤー も加わり、計3曲を演奏した。
2003年、来日公演。
ジョンの自殺という大きな悲しみの中で製作され、10月にリリースされた4thアルバム「 コンフォート・イン・サウンド (Comfort in Sound)」は、UKでは50万枚を売り上げ、フィーダー最高のヒット作となった。このアルバムからの楽曲「ファインド・ザ・カラー(Find The Colour)」が、2003年に 日産・エルグランド のCM曲として使用され、 日産自動車 のCM曲を集めた コンピレーションアルバム 「 SHIFT-NISSAN CM TRACKS- 」にも収録された。 この年には『コンフォート・イン・サウンド』のヒットが契機となり、”2003 Kerrang! awards”で”Best British Band”を受賞している。 また同年にはUKと日本でツアーを行い、2004年はほぼ新作のレコーディングに集中した。
2003年 、デイヴ、マーティンはそれぞれソロ作品を発表する。特にデイヴは自ら作詞作曲にチャレンジしたことから、一部からはバンド解散が危惧された。
一方フレッチは自らのレーベル「トースト・ハワイ」を立ち上げ、 クライアント という女性エレクトロデュオをプロデュースした 。
2003年 、4作目『 ユー・ガッタ・ゴー・ゼア・トゥ・カム・バック 』を発表。前作からみせていたアメリカン・ルーツ・ミュージックへの傾倒をより強め、さらに ゴスペル や サザン・ロック 色への接近を顕著にしたが、前作にあったダークさはやや薄れ、テンポを抑えつつもポジティブな空気で覆われたブルースアルバムともいえる成熟した雰囲気のアルバムとなっている。このアルバムからは「メイビー・トゥモロー」(全英3位)などのヒット・シングルが生まれた。
2003年 から「 ブレット・フォー・マイ・ヴァレンタイン 」として活動開始。
2003年ローリング・ストーン誌が選ぶ偉大なロック・アルバム500枚の473位にランクインした。
同年10月、自らのUKツアー16公演の オープニングアクト に、デビューアルバムをリリースしたばかりの ザ・リバティーンズ を抜擢。12月、 フー・ファイターズ の欧州ツアー4公演に参加。12月9日の アムステルダム 公演では、スーパーグラスの演奏中に テイラー・ホーキンス がドラムで飛び入り参加した 。2003年1月23日、「シーン・ザ・ライト」をシングルカット。カップリングには ニール・ヤング の「ローナー」のカバーを収録し、22位を記録。8月4日、「ラッシュ・アワー・ソウル」をシングルカット。この曲のPVではギャズが本物そっくりなホームレス役を演じたが、チャート入りは逃している。9月~10月、 レディオヘッド の全米ツアー10公演に参加するも、メンバーの家族の病気によりツアー終盤での離脱を余儀なくされる 。12月、バンド結成10周年を記念するDVD制作のために、公式サイトを通じてファンから映像の募集を呼びかける。映像はメンバーが映っていればどんな内容でも構わず、コンサートで隠し撮りされたものであれ告発するつもりはないと保証した 。