2004年 に発表したデビュー・アルバム『フランツ・フェルディナンド』は本国 イギリス のみならず ヨーロッパ 各国、そして アメリカ でも爆発的な評判を呼ぶ作品となり、トータルセールスは400万枚を超え、 グラミー賞 ノミネートを始め、 ブリット・アワード ・ マーキュリープライズ ・NMEアワードという英国3大音楽賞を新人としては史上初めて同時に受賞する快挙も達成。
2004年には欧州最大のフェス、 グラストンベリー・フェスティバル の大トリを ポール・マッカートニー や オアシス とともに務める。マシューが「これまでで最高の瞬間だった」と語るライブは成功に終わり、後に映像作品としてリリースされたが 、その陰では同日のライブを観に来たドミニクの父親が心臓発作で亡くなるという悲劇も起きていた 。同年には世界ツアーを展開し、夏にはクリスが手首を故障した際も急遽4人目のメンバーを入れて乗り切った 。ライブ・バンドとしての評価も高まり、2005年にはブリット・アワードとNMEアワードで「最優秀ライブ・バンド」に選ばれた。
2004年、2005年、オズフェストのヘッドライナーを務める。前座に2004年は ジューダス・プリースト 、2005年は アイアン・メイデン が協力した。そして2017年、バンドは約50年に渡る活動の幕を閉じた 。
しかし 2004年 、数千に及ぶ世界中のファンの4thアルバム発売嘆願署名を受け、ポール単独の編集作業により4thアルバムの音源や一部のBサイド曲、およびデモ曲や未発表音源を含む3枚組の コンピレーション・アルバム 『 クレプタメイニア 』を発売。
2004年 、シングルのカップリングに収録されていたリミックスを集めた『 リミックス 81-04 』を発表。ただし、全てのリミックスを網羅していない。
ツアーや3rdアルバムのレコーディングの休暇中も年中スポットライトを浴びていたように、 2004年 は完全にコールドプレイ・イヤーとなった。2004年から新しいアルバムの製作に取り掛かったが、思ったような曲ができなかった(メンバー自身が後に振り返っている)。そこで気分転換のため、メンバーが一緒に過ごす時間を増やしたという。この3rdアルバムの他のアーティストからの影響については、ガイが「 デヴィッド・ボウイ 、 ブライアン・イーノ 、ピンク・フロイドから デペッシュ・モード 、 ケイト・ブッシュ 、クラフトワーク、そして常に聞くようにしているのだがU2まで、さまざまなアーティストの曲を聞いた」と後に語っている。
トップ・バンドとして返り咲いた勢いそのままに 2004年 、4枚目のオリジナル・アルバム『メルトダウン』をリリース。メンバーが作りたかったというヘビィな骨太ロックを標榜し、かつ アメリカ での成功を視野に ニルヴァーナ が『 ネヴァーマインド 』をレコーディングしたLAのスタジオにて製作された本作は、全編を通して シャーロット のバックコーラスを全面に押し出し、かつ メタル 的な要素を得意の「ポップさ」で咀嚼した、これまでで一番勢いのあるエネルギッシュな仕上がりをみせた。ライブアンセム「オルフェウス」(全英13位)に示されるように、ライブパフォーマンスの熱気をパッケージした乾坤一擲のこの野心作は、前作の爆発的ヒットにこそ及ばなかったものの全英5位にチャートインし、 ゴールド・ディスク を獲得する成績を残した。
2003年12月にはローリング・ストーン誌の読者が選ぶその年のベスト・アーティストとベスト・アルバムに呼び名をあげられた。
2003年7月26日には 日本 の フジ・ロック・フェスティバル に出演した。
長引くアルバムリリースの延期を受け、新年の初めまでにニューアルバムを作り上げなければバンドは終わりだという最後通牒を突き付けられているという噂が流れるようになった。その後結局4枚目のアルバムは日の目を見ずに、2003年5月2日、バンドの解散が公式に言い渡された。