2005年 6月21日にビリーは、 シカゴ・トリビューン 紙の全面広告で、パンプキンズの再結成と活動再開を計画していることを発表した。
新たなラインナップとなったエヴァネッセンスは、 パリ でのライブを『 エニウエア・バット・ホーム 』として2004年に発売した。
2004年、2005年、オズフェストのヘッドライナーを務める。前座に2004年は ジューダス・プリースト 、2005年は アイアン・メイデン が協力した。そして2017年、バンドは約50年に渡る活動の幕を閉じた 。
2004年には欧州最大のフェス、 グラストンベリー・フェスティバル の大トリを ポール・マッカートニー や オアシス とともに務める。マシューが「これまでで最高の瞬間だった」と語るライブは成功に終わり、後に映像作品としてリリースされたが 、その陰では同日のライブを観に来たドミニクの父親が心臓発作で亡くなるという悲劇も起きていた 。同年には世界ツアーを展開し、夏にはクリスが手首を故障した際も急遽4人目のメンバーを入れて乗り切った 。ライブ・バンドとしての評価も高まり、2005年にはブリット・アワードとNMEアワードで「最優秀ライブ・バンド」に選ばれた。
エイミー・リーとベン・ムーディーは、ギタリストとして ジョン・ルコンプ 、さらにデモの録音などにも携わったドラムスの ロッキー・グレイ 、ベースのウィル・ボイドを加えた5人体制でバンドを固め、プロモーションとツアーを始める。しかしその最中、ヨーロッパツアー中の2003年10月22日、ムーディーがバンドから出奔するという事件が起こる。ギタリストでコンポーザーでもあるムーディーを失う痛手を受けつつもバンドはツアーを強行し、後任にはコールドのテリー・バルサモを迎えた。なおバンド脱退の理由についてムーディーは「創造性の相違」などを語っていたが、後に 双極性障害 なども理由であったことを告白している。
2003年の『 アブソルーション 』では前作のスタイルを踏襲し、「過剰なまでの轟音ギターのアンサンブルと切なく鋭いボーカル」 をより推し進めたサウンドを展開。「エピック・ロック(壮大なロック)」と形容された。発売初週の売上は前作の倍を記録し、全英初登場1位 。 イギリス を含む ヨーロッパ 全土で100万枚を売り上げ、初めてチャートインした アメリカ でもゴールドを獲得、全世界トータル売上は300万枚を超える大ヒットとなった。また、 ブリット・アワード では最優秀アルバム、最優秀ロック・アクトなど4部門にノミネートされた。
ワインド-アップ・レコーズ と契約した3人は、2002年にアルバム『フォールン』のレコーディングを開始。12月29日に、ホッジスが脱退するもアルバムを完成させ、 2003年 3月4日 に同作品でアメリカ・デビューとなった。アルバムからのリード・シングル「 ブリング・ミー・トゥ・ライフ (Bring Me To Life)」が映画『 デアデビル 』のサントラに使用されたこともあり、大ヒットを記録。世界で1400万枚のセールスを記録した。 グラミー賞 では最優秀新人賞と最優秀ハードロック・パフォーマンス賞を受賞。
2001年秋、『DOWN TO EARTH』を発表。2002年には、 エリザベス2世 女王在位50周年記念コンサートにも出演した。2003年12月には英国の自宅庭で四輪バイクに乗っていた際に事故に遭遇、瀕死の重傷を負うが、2004年夏のオズフェストで見事に復活している。
2000年秋から新しいアルバムのレコーディングに着手したミューズは、 シンセサイザー を積極的に取り入れる一方、 ベース にエフェクトを掛けて音を太くし、多重録音で ギター を重ねあわせることで独特の音楽性を確立。2001年に発表された2ndアルバム『 オリジン・オブ・シンメトリー 』は全英チャート3位を記録。
2000年 5月23日、ビリーはラジオのインタビューにてパンプキンズの解散を発表。有終の美を飾るべく、日本を含む世界各地を回るツアーが行われた後の同年12月2日、パンプキンズはデビュー時より縁のあるシカゴの ライヴハウス で最後の公演を行い、解散した。