1976年 9月、学校の校内掲示板に「当方、ドラムセットにお金を無駄遣いしてしまいました。僕と同じようにギターにお金を無駄遣いした人はいませんか?」という一枚の貼り紙が貼られた 。
フォーリーのマネージメントの下、 1976年 に マーキュリー・レコード と契約し、直ちにデビュー・アルバム『 悩殺爆弾〜禁断のロックン・ロール・クイーン 』(The Runaways)をリリースする。シングルカットされた「 チェリー・ボンブ (Cherry Bomb)」はビルボード106位( Billboard Hot 100 )を記録。カーリーは デヴィッド・ボウイ 、ジェットは スージー・クアトロ 、フォードは リッチー・ブラックモア と ジェフ・ベック 、ウェストは ロジャー・テイラー 、フォックスは ジーン・シモンズ をそれぞれイメージして、自らのキャラクターを育てていった 。
セカンド・アルバム『ハード・ギター爆撃機』( 1976年 )には ミートローフ が参加。3作目の『傷だらけの野獣』( 1977年 )は、アルバムが全米17位、「キャット・スクラッチ・フィーヴァー」もシングルとして初の全米トップ40入りを果たし(最高30位) 、同曲は後に モーターヘッド のアルバム『 マーチ・オア・ダイ 』(1992年)でカヴァーされた 。ブラック・フラッグのヘンリー・ロリンズは、セックス・ピストルズなどのパンクのアルバムが、アメリカの地方都市ではなかなか手に入らず、テッドのレコードを替わりに買ったと述懐している。また、テッドが 原始人 や ターザン のようなキャラクターを演じるライヴ・パフォーマンスも話題となり 、初のライヴ・アルバム『絶叫のライヴ・ゴンゾー』( 1978年 )は全米13位に達した。
1976年
1976年4月、全米ツアー開始。 ニューヨーク の マディソン・スクエア・ガーデン でのライブも開催。5月には4thアルバム『 ロックス 』を発表。全米アルバムチャート3位(Billboard 200)を記録し、「ラスト・チャイルド」、「ホーム・トゥナイト」、「バック・イン・ザ・サドル」もシングルヒットする。日本でも彼らの知名度は上がり、「 クイーン 」、「 キッス 」らと並び“3大バンド” の1つとして人気を博した。10月には初のヨーロッパツアーを開始。翌1977年2月には初の日本ツアーも行っている。また前座には BOWWOW が参加した。
1976年 末、 イギリス の ニューカッスル で、当時 プログレッシブ・ロック ・バンドの カーヴド・エア に在籍していた ドラマー の スチュワート・コープランド が、偶然 ジャズ ・ フュージョン ・ バンド 、 ラスト・イグジット で活動していた ベーシスト 兼 ボーカリスト の スティング のステージを見て、度重なる説得の末、
1976年 、 コリン・ニューマン とブルース・ギルバートが、ワイヤーの前身バンド、Overloadを結成した。そこにグレアム・ルイスとロバート・グレイ(デビュー時のステージネームはロバート・ゴートゥベッド(Robert Gotobed)だったが後に本名名義に変更)が加わり、ワイヤーの原型ができあがった。 1977年 から4人編成での本格的な活動が始まった 。
と『エアボーン』(1976年)という2作のアルバムを発表 。
RAINBOW #2(1975年9月 – 1977年 2月)
RAINBOW #1( 1975年 5月 – 1975年9月)