rock

1978
ザ・ランナウェイズ 1978年 、金銭問題など様々な意見の不一致が原因で、結成以来のパートナーであったフォーリーと袂を分かち、マーキュリーとの契約も破棄。

1978年 、金銭問題など様々な意見の不一致が原因で、結成以来のパートナーであったフォーリーと袂を分かち、マーキュリーとの契約も破棄。 ブロンディ やスージー・クアトロを手がけたトビー・マミズとマネージメント契約を結ぶ。同年11月、ブルーが健康問題で脱退。 ローリー・マカリスター ( 英語版 ) に交代。この間、彼女たちは荒れたロックンロール的ライフスタイルを満喫する。同年、 シン・リジィ のプロデューサーであるジョン・アルコックを迎えて制作したアルバム『クレイジー・ナウ』(And Now… The Runaways)をリリース。

ラモーンズ 1978年

1978年

スチュワート・コープランド トップ・オブ・ザ・ポップス

1978年に BBC の トップ・オブ・ザ・ポップス に出演して、覆面をしたスティング、サマーズ、ポリスのツアー・マネージャーのキム・ターナー 、カーヴド・エアのオリジナル・ドラマーだった フロリアン・ピルキントン・ミクサ をバックに リップ・シンク で”Don’t Care”を披露した。

1977
スチュワート・コープランド サマーズ を迎えた

同年8月、ポリスはパドゥヴァーニに代えて、 ソフト・マシーン や エリック・バートン・アンド・ジ・アニマルズ などのギタリストだった アンディ・サマーズ を迎えた 。コープランドは結成当初、 パンク・ロック ・ ブーム に乗るバンドの構想を立てていたが 、サマーズを迎えたポリスはレゲエやプログレッシブ・ロックなどの要素も組み入れ、 1980年代 を代表するバンドの1組となった。

レインボー (バンド) RAINBOW #4

RAINBOW #4(1977年7月 – 1978年 11月)

スチュワート・コープランド Fall Out

彼らはマイルスが設立した イリーガル・レコード から、同年5月にデビュー・シングル’ Fall Out ‘を発表した。

レインボー (バンド) RAINBOW #3

RAINBOW #3(1977年5月 – 1977年7月)

エアロスミス 人気の拡大とともにバンド活動には2度目のヨーロッパツアーを含む大規模なツアーが組み込まれ、その合間に次作のレコーディングが行われるという過酷

人気の拡大とともにバンド活動には2度目のヨーロッパツアーを含む大規模なツアーが組み込まれ、その合間に次作のレコーディングが行われるという過酷なスケジュールになり、以前から使用していたとされるドラッグも使用頻度が増していった( 薬物乱用 )。そのような中、1977年12月に5thアルバム『 ドロー・ザ・ライン 』を発表。全米チャート11位(Billboard 200)のヒットとなる。1978年3月には ロック・フェスティバル 「 カリフォルニア・ジャム2 」で ヘッドライナー を務め、同年7月から公開された ビートルズ のアルバム『 サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド 』を取り上げた同名タイトルの映画にも出演。 ジョージ・マーティン をプロデューサーに迎え、「 カム・トゥゲザー 」をカバーするなど精力的な活動が続いていた。しかし、バンド内ではスティーヴンとジョーの関係悪化が進み、ステージ上で小突き合いまでしていた 。さらに、バンド内に蔓延しているドラッグ癖が次作のアルバム制作にまで影響を及ぼす状況になっていた。そして、1979年7月のロック・フェスティバル『ワールド・シリーズ・オブ・ロック』出演後に些細な出来事からバンド内で大喧嘩が起こり、ジョーがバンドを脱退する事態にまで発展した。

ポリス (バンド) ポリスを結成

1977年 ギタリストの ヘンリー(アンリ)・パドゥバーニ ( 英語版 ) を加えた3人でポリスを結成 。後に、 ストロンチウム90 を通じて、元後期 アニマルズ のギタリスト、 アンディ・サマーズ が加入し4人編成となるが、パドゥバーニが脱退しトリオとなる。

ワイヤー (バンド) ピンク・フロイド がかつて所属した、EMI傘下の ハーヴェスト・レコード と契約し、マイク・ソーンのプロデュースで 1977年 から

ピンク・フロイド がかつて所属した、EMI傘下の ハーヴェスト・レコード と契約し、マイク・ソーンのプロデュースで 1977年 から 1979年 にかけて、『 ピンク・フラッグ 』『 チェアーズ・ミッシング (旧邦題:消えた椅子)』『 154 』の3枚のアルバムをリリースした 。『ピンク・フラッグ』は1分未満の楽曲も多い、荒削りなパンク・ロック・アルバムだったが、『チェアーズ・ミッシング』『154』では シンセサイザー やギター エフェクト を多用した、より複雑でアトモスフェリックなサウンドになった。パンク・バンドとしては異色で、「初期のピンク・フロイドを思わせる」と評された。初期の彼らのキャッチフレーズは「ロックでなければなんでもいい」というもので、ロンドン・パンクにおける名台詞のひとつとされている。彼らのアルバムは大手レーベルからリリースされたこともあって、海を超えてアメリカの オルタナティヴ・ロック に大きな影響を与えた。