1981年 の『略奪者』のほか、 1982年 に ユーライア・ヒープ のオリジナル・メンバーであった ケン・ヘンズレー がグループに加わりリリースされた『革命と反乱』( 1983年 )や『ヴァーティカル・スマイルズ』( 1984年 )といったアルバムは、ビルボードのトップ200に入るなど中規模なヒットをもたらした。
ファーストアルバムはバンドの象徴的な楽曲である「Antisocial」の鼓舞により、爆発的なヒットにつながる。 ジャック・メスリーヌ の引用を含む曲「Le Mitard」は、かつてのフランス民衆の最大の敵に オマージュ を送ったとして、多くの批判が寄せられる。 1981年 2月、トラストはアイアンメイデンの前座として英国で20ほどのコンサートを行い、 リーズ で モーターヘッド の前座を務めた後、5月にはフランスのバンドとしては当時希少であるヘッドライナーとしてツアーを行った。1980年8月29日、 レディング・フェスティバル のトップアクトとして演奏し、4万5,000人の聴衆から歓声を浴びる。しかし、次の演奏を控えていた ギラン の事務所との間でトラブルが発生し、同マネージメントはアンコールを作為的に妨害しようと、セットリストの最終曲で PA を切るように要求した 。1981年には映画 『ヘビーメタル』 ( 英語版 ) のサウンドトラックに「Préfabriqués」の英語バージョンである「Prefabricated」を提供した。
1981年4月、メンバーはアトキンスを呼び戻し、新しいベーシストを迎えることなく、『フラワーズ・オブ・ロマンス』を発表 。
1981年8月、ブラッドがデレク・セント・ホルムズとアルバム『ウィットフォード/セント・ホムルズ』を発表しバンドから脱退する。また、ジョー・ペリー・プロジェクトは2ndアルバム『忘れじのロックン・ロール』を発表する。
1981年 6月9日 のロンドン公演をもってボーイ・ツアーが終了すると、U2は前作に引き続きスティーヴ・リリーホワイトをプロデューサーに迎え、同年7月からセカンド・アルバムのレコーディングに入った 。
「マジック」(Every Little Thing She Does Is Magic: 1981年 )
ベルビュー 郊外のキリスト教系の高校で、 マーク・アーム とマークの数人の友人で、彼らの数学教師の名に因んだ「ミスター・エップ・アンド・ザ・カリキュレーションズ」が結成されたが、当時はメンバーの誰も楽器を弾けず、最初のライブは、学校のクラスで巻いた地図をギターに見立て、 マーヴィン・ゲイ の「ガット・トゥ・ギヴ・イット・アップ」歌うといった、おちゃらけたものであった。それから3年後の1981年、ようやく本格的なライブを行い、より真剣に音楽活動に取り組むための新たなバンド、「 リンプ・リチャーズ 」を結成する。「ミスター・エップ・アンド・ザ・カリキュレーションズ」は地元のラジオで「世界最悪のバンド」として出演し、シアトルで1984年2月3日、 マルファンクシャン と共に最後のショウを行った。
RAINBOW #7(1980年11月 – 1981年 11月)
RAINBOW #6(1980年8月 – 1980年11月)
1980年代 後半にノーマン・ブレイク、レイモンド・マッギンリー、フランシス・マクドナルドの3人で組んでいた前身のバンド、ザ・ボーイ・ヘアドレッサーズ (The Boy Hairdressers) を経て 1989年 、 スコットランド ・ グラスゴー にて結成。