1983年9月、ジョー・ペリー・プロジェクト3rdアルバム『いつまでも熱く』発表。
1983年には、5作目のアルバム『 シンクロニシティー 』(Synchronicity)が、 Billboard 200 に於いて17週連続1位。先行シングル「 見つめていたい 」(Every Breath You Take)も、 Billboard Hot 100 で8週連続1位、さらに年間チャート1位にも輝いている。
翌年に A&M 傘下のインディーレーベル I.R.S. に移籍。
1982年 始めに、マンチェスター在住の青年2人によって結成された。 モリッシー (本名スティーブン・パトリック・モリッシー)は、高校中退後に親と同居する定職のないライターで、アメリカのパンクバンド、 ニューヨーク・ドールズ のファンクラブを立ち上げ、会報を発行していた 。 ジョニー・マー は高校卒業後、就職・進学はせず、ギタリストとしていくつかのバンドに参加するなど本格的に音楽活動を開始しており、モリッシーの文章の読者でもあった。
1982年8月、ブラッドに代わるギタリストに リック・デュファイ を迎えて7thアルバム『 美獣乱舞 』を発表。
オクトーバー・ツアー中の 1982年 3月22日 にシングル「 セレブレイション 」をリリースしたが、またしてもヒットしなかった 。
RAINBOW #8(1981年11月 – 1983年 6月)
1981年6月21日、 ネバダ州 ラスベガス 近郊で、食料品店で働く父親と主婦の母親の間に6人兄弟の次男として生まれる。
米国の インディー レーベル”Hib-Tone”よりシングル「レディオ・フリー・ヨーロッパ(Radio Free Europe)」で1981年にデビュー。
ゲフィン・レコード への移籍第1弾アルバム『 スタンディング・ハンプトン 』( 1981年 )は、全米アルバム・チャートのトップ40入りを果たし(最高28位)、同作収録曲「There’s Only One Way to Rock」は、後に ヴァン・ヘイレン のライブでも歌われた代表曲。サミーはやがて、「ヴォイス・オブ・アメリカ」と賞賛されるようになり、 1984年 にはそれにちなんだタイトルのアルバム『VOA (ヴォイス・オブ・アメリカ)』発表。同作収録曲「非情のハイウェイ55号 (原題: I Can’t Drive 55)」も、ヴァン・ヘイレンのライブで歌われた。また、ニール・ショーン、ケニー・アーロンソン、 マイケル・シュリーヴ とのプロジェクトHSASを結成し、アルバム『 炎の饗宴 』(1984年)を発表。