1985年11月、プロデューサーに テッド・テンプルマン を迎えた8thアルバム『 ダン・ウィズ・ミラーズ 』を発表。
1985年はザ・スミスにとって、スタジオでサード・アルバムの収録をしながら、イギリスとアメリカでツアーを続ける苛酷な1年だった。 翌年 、まずシングル「ビッグマウス・ストライクス・アゲイン」がリリースされ、間をおかずに1986年6月、アルバム『 ザ・クイーン・イズ・デッド 』が発売された。UKチャートでは最高2位となり 、音楽誌「SPIN」の1989年の特集「これまで制作された最高のアルバム」では第1位に選ばれた。その他NME紙やメロディ・メイカー紙など、数多くのロック誌や音楽出版物の行う「グレイテスト・アルバム」企画では、『ザ・クイーン・イズ・デッド』がしばしばトップ10にランクインしている。 2006年 6月には、NMEは全紙面を使って『クイーン・イズ・デッド』発売20周年特集を組んだ。また、同アルバム収録の「ゼア・イズ・ア・ライト・ネヴァー・ゴーズ・アウト」は活動中にシングルカットされたものではなかったにもかかわらず、2012年現在でも最もファンの支持を集める曲の一つである 。
1985年 、ビョークは地元レイキャヴィークの音楽仲間であり恋人のソー・エルドンとの子を身籠る。妊娠7ヶ月目まで音楽活動を続けるものの、メンバーたちの飲酒が祟りK.U.K.L.は解散する 。
テレビ番組『 ザ・シークレット・ハンター 』(1985年-1989年)
レインボーは7作目のアルバム『 ストリート・オブ・ドリームス 』と同年3月の日本公演 を最後に活動を停止、解散する。
1984年 にセカンド・アルバム『ゼン・アーケード』を発表。 コンセプト・アルバム であり、 LP 2枚組で70分の大作だったが、レコーディングにかけた時間はわずか45時間であり、制作費用もたった3,200ドルだった 。アルバムは発売当初から賞賛され、パンク・ファン以外からも注目を浴びる結果となった 。SSTは作品の内容からか当初3,500枚~5,000枚程度しかレコードをプレスしなかったが、発売から数週間でレコードは売り切れ数ヶ月間在庫切れとなり、それがセールスに影響しバンドはSSTに不満を抱くようになる。 1985年 1月にサード・アルバム『ニュー・デイ・ライジング』、8ヵ月後の9月に4枚目のアルバム『フリップ・ユア・ウィグ』をリリース。
この時期のもう一つの大きな音楽的変化は、バンドがルーツ・ロックへと目覚めていったことである。U2はパンクやポスト・パンクのムーブメントから直接誕生したバンドであり、 ブルース や カントリー といったロックンロールの伝統的なルーツを通ってきていなかった。しかし、1984年のスレイン城でのライブでボブ・ディランと共演した際、彼から直接「君たちはもっと音楽のルーツを学ぶべきだ」と指摘されたことや、その後のサン・シティのプロジェクト等で キース・リチャーズ (ローリング・ストーンズ)と交流し、彼から古いブルースの魅力を教えられたことが、ボノにとって自らの音楽的教養を見直す大きな転機となった 。
アルバム『刺青の侵入者』( 1984年 )では、デレク・セント・ホルムズに代わり、後に バッド・カンパニー に加入する ブライアン・ハウ がヴォーカルを担当。 1988年 のアルバム『青コーナーの誘惑』には、 ジョン・ボン・ジョヴィ や リッチー・サンボラ と共作した楽曲「That’s the Story of Love」を収録しているが、セールス的には成功しなかった。
長いブランクを挟み、ライドンとレヴィンは『Commercial Zone』を録音。しかしリリース直前に意見の相違によりレヴィンが脱退し、同録音を自主制作盤として発表。PIL(ライドンとアトキンス)はその別バージョンといえる『ジス・イズ・ホワット・ユー・ウォント』(1984年7月)を発表。
1984年1月には初来日を果たした。イングヴェイはリッチーに憧れているとはいえ黒い衣装、白い ストラトキャスター 、ギターを壊すパフォーマンスと全てリッチーのコピーであるため客から失笑がもれた。だが、「テープの速回しじゃないか?」と噂されていたイングヴェイのメロディアスかつ強烈な速弾きは紛れもない本物であった。そして、この初来日の東京公演が収録されたアルバム『 ライヴ・センテンス 』をリリースする。しかし、観客が求めるものがイングヴェイの演奏であったことから他のメンバーから強い嫉妬を受け、次第にステージ上で喧嘩になるなどメンバーとの関係が悪化、イングヴェイは解雇に近い形でマネージャーのアンディ・トゥルーマンと共に脱退してしまう 。後任には(同じく速弾きを得意とするとはいえ)イングヴェイとはスタイルを異にする スティーヴ・ヴァイ を加入させ、1984年10月に再来日を果たした。初来日公演も再来日公演もライブ・ビデオが発売され好評であった。