その後、PILはライドン中心の流動的なプロジェクトとなり、『ALBUM』(1986年2月)を発表。『HAPPY?』(1987年9月)以降はパーマネントなバンド編成となり、『ザット・ホワット・イズ・ノット』(1992年2月)を最後に活動を休止。2009年12月のイギリス・ミニツアーで活動を再開した。
1985年 に活動を再開し 6枚の作品をリリースした。 1990年 に ドラマー のグレイが脱退し、 1992年 から 2000年 にかけて再度活動を休止した 。 2000年 の再始動時は、オリジナル・メンバー4人での復活であった が、 2004年 にブルース・ギルバートが脱退 した。 2011年 、It Hugs Backのフロントマン、マシュー・シムスがギタリストとして加入した 。
1980年代初期に サンディエゴ で結成される。当初は ジェイク・E・リー が在籍していたが、メンバー・チェンジが続き、アミア・デラク加入後、 ワーナー・ブラザース・レコード からメジャー・デビュー・アルバム『ラフ・カット』(1985年)を発表した。2枚のアルバムを発表した後、ポール・ショーティノがバンドを脱退して クワイエット・ライオット に加入した。ペリモア・マッカーティ(元ウォリアー)が一時的に在籍するが、ほどなく解散。アミア・デラクは、後に オージー で活動。
翌 1985年 2月11日、セカンド・アルバム『 ミート・イズ・マーダー 』が発売された。『ミート・イズ・マーダー』は結局、コンピレーションアルバムを除けばザ・スミス唯一のUKチャート1位に輝いたアルバムとなった 。
タウンゼント、ダルトリー、エントウィッスルは ライブ・エイド (1985年)、 英国レコード産業協会 の特別功労賞の受賞式(1988年)、 結成25周年記念ツアー (1989年)で結集してザ・フー名義の一時的な活動を行なった 。そして1996年、3人は プリンス・トラスト ( 英語版 ) のコンサートでアルバム『四重人格』を完全再現する為に再結集したことをきっかけに、ザ・フーの本格的な復活を果たした。彼等がサポート・メンバーとして迎えたドラマーは、 リンゴ・スター の長男で、少年時代にムーンに可愛がられてドラムを教えてもらった ザック・スターキー だった。以後2023年現在まで、ザ・フーのステージでは幾つかの例外を除いてスターキーがドラムを叩き続けている 。
1985年 、 アフリカ のリズムを探求する 旅 の結果生まれたソロ・アルバム『 リズマティスト 』( The Rhythmatist )を発表 。旅の模様を捉えた約一時間のビデオ映画 The Rhythmatist も発表した 。
1985年はザ・スミスにとって、スタジオでサード・アルバムの収録をしながら、イギリスとアメリカでツアーを続ける苛酷な1年だった。 翌年 、まずシングル「ビッグマウス・ストライクス・アゲイン」がリリースされ、間をおかずに1986年6月、アルバム『 ザ・クイーン・イズ・デッド 』が発売された。UKチャートでは最高2位となり 、音楽誌「SPIN」の1989年の特集「これまで制作された最高のアルバム」では第1位に選ばれた。その他NME紙やメロディ・メイカー紙など、数多くのロック誌や音楽出版物の行う「グレイテスト・アルバム」企画では、『ザ・クイーン・イズ・デッド』がしばしばトップ10にランクインしている。 2006年 6月には、NMEは全紙面を使って『クイーン・イズ・デッド』発売20周年特集を組んだ。また、同アルバム収録の「ゼア・イズ・ア・ライト・ネヴァー・ゴーズ・アウト」は活動中にシングルカットされたものではなかったにもかかわらず、2012年現在でも最もファンの支持を集める曲の一つである 。
1985年11月、プロデューサーに テッド・テンプルマン を迎えた8thアルバム『 ダン・ウィズ・ミラーズ 』を発表。
1985年 、ビョークは地元レイキャヴィークの音楽仲間であり恋人のソー・エルドンとの子を身籠る。妊娠7ヶ月目まで音楽活動を続けるものの、メンバーたちの飲酒が祟りK.U.K.L.は解散する 。
テレビ番組『 ザ・シークレット・ハンター 』(1985年-1989年)