rock

1999
プライマル・スクリーム 1999年までにギレスピーとマッギーは和解した 。マッギーは同年の11月にクリエイションの閉鎖を宣言し、2000年1月に発売された『

1999年までにギレスピーとマッギーは和解した 。マッギーは同年の11月にクリエイションの閉鎖を宣言し、2000年1月に発売された『 XTRMNTR (エクスターミネーター)』はクリエイション・レコーズ最後のアルバムとなった 。ケヴィン・シールズ、 ケミカル・ブラザーズ 、 ニュー・オーダー の バーナード・サムナー 等が参加したこのアルバムは、今までにない政治的姿勢を打ち出した攻撃的な歌詞が並んだ 。 パブリック・イメージ・リミテッド の名が引き合いに出されることも多かったこのアルバムは、売り上げはさほど伸びかったものの、多数のメディアから好意的なレビューを贈られた 。久方ぶりに制作に深く関与したマッギーは「間違いなくこの年のベストアルバムに入る」と絶賛した 。「10年後に振り返ったとき、皆プライマル・スクリームはいいバンドだったと口にする 」とも。その言葉は現実のものとなり、2009年にNME誌が発表した2000年代のベストアルバム100選の中で、このアルバムは3位にランクされた 。

コールドプレイ パーロフォン と契約

1999年春にEMIの傘下 パーロフォン と契約した。 グラストンベリー・フェスティバル に初登場後、コールドプレイは新しいEPの製作に取り掛かる。『The Blue Room』と名づけられたEPは10月に5000枚がリリースされ、シングルカットされた『Bigger Stronger』はRadio 1で放送、知名度獲得の一助となった。その途中クリスとウィルがバンドの方針をめぐって喧嘩をしてしまう。その後和解するが、U2や R.E.M. のようなバンドを見習い、メンバー個人の尊重や ドラッグ をしないというバンドとしてのルールが決められた。ちなみに、ウィルの脱退騒動は、1stアルバム『パラシューツ』の収録曲「Trouble」のインスピレーションとなった。

フィオナ・アップル 1999年 11月9日 、フィオナ・アップルのセカンド・アルバム『 真実 』がリリースされた。原題の『When the Pawn Hits

1999年 11月9日 、フィオナ・アップルのセカンド・アルバム『 真実 』がリリースされた。原題の『When the Pawn Hits the Conflicts He Thinks like a King What He Knows Throws the Blows When He Goes to the Fight and He’ll Win the Whole Thing Fore He Enters the Ring There’s No Body to Batter When Your Mind Is Your Might So…
Read More

1998
ジョン・バトラー・トリオ 自主制作でリリース

12月にアルバム『John Butler』を自主制作でリリースした 。

ホール (バンド) セレブリティ・スキン

1998年 9月8日 に、3rd(メジャー2nd)アルバム『 セレブリティ・スキン 』( Celebrity Skin )がリリースされた。

マンサン SIX

1998年 9月、2ndアルバム『 SIX 』を発表。タイトル通り全英6位に入った。前作に引き続き、ポール自らがプロデュースを担当した本作は、ポールも当時「僕らのアルバムと マニックス のアルバムが出れば、すべては変わるはずだよ」と自信たっぷりに話していた。しかし7、8分をゆうに超える大作曲を多く含む、前作以上にプログレ色の濃い複雑怪奇で実験的な作風にプレスは賛否両論を巻き起こした。アルバムはバンド最高位を記録したシングル「レガシー」(全英7位)と「ビーイング・ア・ガール」が収録されており、他にも「ネガティヴ」や アーサー・ベイカー プロデュースのアルバムとは別バージョンの「SIX」がシングルカットされた。

コールドプレイ Safety

コールドプレイは1998年5月に EP 『Safety』をリリースする。

ゴリラズ バーチャルバンド・ゴリラズのプロジェクト

1998年 4月にバーチャルバンド・ゴリラズのプロジェクトが立ち上げられ

アッシュ (バンド) 『ニュー・クリアー・サウンズ』を発表

1998年 、難産の末にセカンド・アルバム『ニュー・クリアー・サウンズ』を発表。ブームの狂騒が10代のバンドに与えた重圧は大きく、その結果、陰鬱なテーマを持って完成したこのアルバムは前作に比べ興行的に振るわず、苦戦を強いられることになった(ティム自身「やはり他のアルバムに比べればいい曲は少ないかな」と語っている)。

ベアネイキッド・レディース カナダでは順調にトップ・バンドに成長した彼らがアメリカでブレイクを果たしたのは、1998年。アルバム『スタント』(全米3位)と同作からのファ

カナダでは順調にトップ・バンドに成長した彼らがアメリカでブレイクを果たしたのは、1998年。アルバム『スタント』(全米3位)と同作からのファースト・シングル「One Week」(全米1位)によってだった。彼らはアメリカでアリーナ級の会場をまわる大規模な『Stunt』ツアーを敢行。その熱狂の様子は、またもジェイソンが監督した1999年のドキュメンタリー映画『Barenaked in America』に記録された。この時期、ケヴィンが白血病のために入院、一時バンドを離れるという不運にも見舞われていたが、奇跡的に快復し、ツアーの途中で復帰している。ちなみに1999年3月にバンドは来日しているが、アメリカでの人気の余波は日本には届いておらず、渋谷ON AIR WEST(現・ Shibuya O-WEST )・心斎橋クラブクアトロと、クラブ規模の会場2か所で公演を行った。