rock

1999
コールドプレイ Brothers & Sisters

翌 1999年 4月に、2月にたった4日間で収録を済ませていたEP『Brothers & Sisters』をリリースした。

フィーダー (バンド) 1999年 7月、前述したツアーの合間にレコーディングが行なわれ、2ndアルバム『 イエスタディ・ウェント・トゥー・スーン

1999年 7月、前述したツアーの合間にレコーディングが行なわれ、2ndアルバム『 イエスタディ・ウェント・トゥー・スーン (Yesterday Went Too Soon)』がリリースされる。シングルカット曲の中でも、ツアーでの経験からインスパイアされた曲だという「インソムニア(Insomnia)」と「イエスタディ・ウェント・トゥー・スーン」は、共にUKチャートで「ハイ」を上回るヒット曲となり、 BBC の番組「 トップ・オブ・ザ・ポップス 」にも出演した。 そして、同年に開催された フジ・ロック・フェスティバル に初出演し、これが初来日となった。それ以前からUKでライブバンドとしての地位を固めていたこともあって大成功を収め、タカにとっては凱旋帰国と言うべきものであった。 2000年 1月には初の単独来日公演が行なわれている。

プライマル・スクリーム 1999年までにギレスピーとマッギーは和解した 。マッギーは同年の11月にクリエイションの閉鎖を宣言し、2000年1月に発売された『

1999年までにギレスピーとマッギーは和解した 。マッギーは同年の11月にクリエイションの閉鎖を宣言し、2000年1月に発売された『 XTRMNTR (エクスターミネーター)』はクリエイション・レコーズ最後のアルバムとなった 。ケヴィン・シールズ、 ケミカル・ブラザーズ 、 ニュー・オーダー の バーナード・サムナー 等が参加したこのアルバムは、今までにない政治的姿勢を打ち出した攻撃的な歌詞が並んだ 。 パブリック・イメージ・リミテッド の名が引き合いに出されることも多かったこのアルバムは、売り上げはさほど伸びかったものの、多数のメディアから好意的なレビューを贈られた 。久方ぶりに制作に深く関与したマッギーは「間違いなくこの年のベストアルバムに入る」と絶賛した 。「10年後に振り返ったとき、皆プライマル・スクリームはいいバンドだったと口にする 」とも。その言葉は現実のものとなり、2009年にNME誌が発表した2000年代のベストアルバム100選の中で、このアルバムは3位にランクされた 。

コールドプレイ パーロフォン と契約

1999年春にEMIの傘下 パーロフォン と契約した。 グラストンベリー・フェスティバル に初登場後、コールドプレイは新しいEPの製作に取り掛かる。『The Blue Room』と名づけられたEPは10月に5000枚がリリースされ、シングルカットされた『Bigger Stronger』はRadio 1で放送、知名度獲得の一助となった。その途中クリスとウィルがバンドの方針をめぐって喧嘩をしてしまう。その後和解するが、U2や R.E.M. のようなバンドを見習い、メンバー個人の尊重や ドラッグ をしないというバンドとしてのルールが決められた。ちなみに、ウィルの脱退騒動は、1stアルバム『パラシューツ』の収録曲「Trouble」のインスピレーションとなった。

フィオナ・アップル 1999年 11月9日 、フィオナ・アップルのセカンド・アルバム『 真実 』がリリースされた。原題の『When the Pawn Hits

1999年 11月9日 、フィオナ・アップルのセカンド・アルバム『 真実 』がリリースされた。原題の『When the Pawn Hits the Conflicts He Thinks like a King What He Knows Throws the Blows When He Goes to the Fight and He’ll Win the Whole Thing Fore He Enters the Ring There’s No Body to Batter When Your Mind Is Your Might So…
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スーパーグラス 8月、アメリカのコメディ映画『デッド・マン・オン・キャンパス』の サウンドトラック

8月、アメリカのコメディ映画『デッド・マン・オン・キャンパス』の サウンドトラック に「ウィ・スティル・ニード・モア」を提供。この曲は元々「レイト・イン・ザ・デイ」のカップリング曲だったが、サントラ用に ダスト・ブラザーズ のプロデュースで再録音されている。アメリカのみでシングルカットされ、ピラミッド状に積み上げられたテレビの山にメンバーが乗った車が突っ込むという派手なPVが制作された。1999年5月24日、3rdアルバムからの先行シングル「パンピン・オン・ユア・ステレオ」をリリース。 ジム・ヘンソン ・クリーチャー・ショップによる マペット を用いたユニークなPVが話題になり、チャート11位を記録した。9月6日、先行シングル第2弾「ムーヴィン」をリリース。9位を記録。

グラスジョー (バンド) 1999年、バンドはロス・ロビンソン( アット・ザ・ドライヴイン 、 リンプ・ビズキット 、 コーン 、 スリップノット )を

1999年、バンドはロス・ロビンソン( アット・ザ・ドライヴイン 、 リンプ・ビズキット 、 コーン 、 スリップノット )を プロデューサー に迎えて、1stアルバムである『エヴリシング・ユー・エヴァー・ウォンテッド・トゥ・ノウ・アバウト・サイレンス』をレコーディングする為にカリフォルニア州マリブのインディゴ・ランチのスタジオに入った。ロスと契約を交わした際の出来事を、ベックはこう語る。「ロスは俺たちが練習している時に現れた。そして俺たちが曲を演奏し始めると、彼は立ち上がって、手を振り、こう言った。」「終わった、遂に終わった!これだよ!契約しよう!」これに関して、ロス・ロビンソンはこう述べる。「そのアルバムでの私たちの目的は“アディダス・ロック”を駆逐することだったんだ。」これは、当時興隆を極めていた ニュー・メタル ムーヴメントに属する、彼がプロデュースした アディダス がスポンサーとなっていた一部のバンド(コーンやリンプ・ビズキット)に対する、ある種自己卑下的な姿勢である。バンドの音楽性は攻撃的で激しいものであったが、その反面「When One Eight Becomes Two Zeros」「Her Middle Name is Boom」「Piano」といった叙情的な側面を持つ曲も収録されており、その流れを汲む大作「Everything You Ever Wanted to Know About Silence」は更にパルンボ自身の クローン病 について歌われた個人的なものである。だが、基本的なバンドのスタイルはパルンボが出会った人間に対する苦々しい怒りに溢れた感情を、彼の喉を切り裂かんばかりの力強い叫びとユニーク且つメロディアスな歌声にのせるというものだった。このアルバムは ポスト・ハードコア に於ける画期的な作品だと評価されたが、その評価に反してレーベルはアルバムのプロモーションに殆ど力を入れず、バンドは ロードランナー・レコード に対する不信を募らせた。そして問題は更に悪化することになる。ツアー中にパルンボがクローン病の発作を起こし、彼の激しいパフォーマンススタイルでは致命的な段階に至りかねないにもかかわらず、レーベルは彼が残りのツアーの日程を消化せずに休息をとるのは許されないと主張したのだ。

スマッシング・パンプキンズ 1999年 、ビリーはジミーと連絡をとり、バンドに復帰させる。 2000年 には『 マシーナ/ザ・マシーンズ・オブ・ゴッド

1999年 、ビリーはジミーと連絡をとり、バンドに復帰させる。 2000年 には『 マシーナ/ザ・マシーンズ・オブ・ゴッド 』が発表されるが、アルバムの完成と同時にダーシーが脱退。急遽、後任のベーシストとして元 ホール の メリッサ・オフ・ダ・マー を迎えることになった。

ミューズ (バンド) 1999年に ジョン・レッキー のプロデュースでデビュー・アルバム『 ショウビズ 』を制作。作風の類似性からレッキーが過去に手がけた

1999年に ジョン・レッキー のプロデュースでデビュー・アルバム『 ショウビズ 』を制作。作風の類似性からレッキーが過去に手がけた レディオヘッド と比較される一方で、 全英アルバムチャート で29位を記録。 NMEアワーズ の新人賞を受賞した。

ステレオフォニックス 1stアルバムの好評をうけてデビューシングルの「ローカル・ボーイ~」を再リリースすると(全英15位)、 1999年

1stアルバムの好評をうけてデビューシングルの「ローカル・ボーイ~」を再リリースすると(全英15位)、 1999年 春には早くも2ndアルバム『 パフォーマンス・アンド・カクテルズ 』を発表し初登場1位を獲得。その後もアルバムは1年近くチャートインし続けるロングヒットとなってプラチナム・セールスを記録し、シングルカットされた5曲もヒットした。中でも先行シングルとなった「ザ・バーテンダー・アンド・ザ・スィーフ」(全英3位)は初期の代表曲となっている。