heavy metal

1976
テッド・ニュージェント セカンド・アルバム『ハード・ギター爆撃機』( 1976年 )には ミートローフ が参加。3作目の『傷だらけの野獣』( 1977年

セカンド・アルバム『ハード・ギター爆撃機』( 1976年 )には ミートローフ が参加。3作目の『傷だらけの野獣』( 1977年 )は、アルバムが全米17位、「キャット・スクラッチ・フィーヴァー」もシングルとして初の全米トップ40入りを果たし(最高30位) 、同曲は後に モーターヘッド のアルバム『 マーチ・オア・ダイ 』(1992年)でカヴァーされた 。ブラック・フラッグのヘンリー・ロリンズは、セックス・ピストルズなどのパンクのアルバムが、アメリカの地方都市ではなかなか手に入らず、テッドのレコードを替わりに買ったと述懐している。また、テッドが 原始人 や ターザン のようなキャラクターを演じるライヴ・パフォーマンスも話題となり 、初のライヴ・アルバム『絶叫のライヴ・ゴンゾー』( 1978年 )は全米13位に達した。

トゥイステッド・シスター しかし、ジェイ・ジェイとエディ以外のラインナップは流動的で、認知度はなかなか高まらなかった。バンドは 1976年 頃までは グラムロック

しかし、ジェイ・ジェイとエディ以外のラインナップは流動的で、認知度はなかなか高まらなかった。バンドは 1976年 頃までは グラムロック ・バンドとして、クラブハウスなどで ギグ を行う程度であった。

トゥイステッド・シスター バンドは 1976年 に、ヴォーカルと作曲担当として ディー・スナイダー を迎えた。また、ドラマーも変更し、 1978年

バンドは 1976年 に、ヴォーカルと作曲担当として ディー・スナイダー を迎えた。また、ドラマーも変更し、 1978年 には元ディクティターズのマーク・メンドーサ(ベース)が加入した。これを機にバンドの指向は、 アリス・クーパー や ブラック・サバス 、 モーターヘッド などから影響を受けた、ヘヴィな ハードロック スタイルへと変わっていった。

1975
レインボー (バンド) RAINBOW #2

RAINBOW #2(1975年9月 – 1977年 2月)

レインボー (バンド) RAINBOW #1

RAINBOW #1( 1975年 5月 – 1975年9月)

サージ・タンキアン ロサンゼルス に移住した

1975年に家族で アメリカ の ロサンゼルス に移住した。

ザ・ランナウェイズの歴史は 1975年 終盤、 カリフォルニア州 ロサンゼルス で サンディ・ウェスト (ドラムス)と ジョーン・ジェット

ザ・ランナウェイズの歴史は 1975年 終盤、 カリフォルニア州 ロサンゼルス で サンディ・ウェスト (ドラムス)と ジョーン・ジェット が(リズム・ギター)が、プロデューサーの キム・フォーリー の紹介で知り合ったところから始まる。ウェストの自宅で対面した2人は意気投合し、フォーリーにメンバー探しの支援を依頼。 ミッキー・スティール (ボーカル、ベース)を迎えてパワー・トリオとして活動を開始し、ロサンゼルス近辺のパーティ会場やクラブで演奏した。

1974
アリス・クーパー 1974年、映画『 007 黄金銃を持つ男 』の主題歌候補として「黄金銃を持つ男」 を歌うが、最終選考で ルル に敗れた 。

1974年、映画『 007 黄金銃を持つ男 』の主題歌候補として「黄金銃を持つ男」 を歌うが、最終選考で ルル に敗れた 。

1973
アリス・クーパー 1973年、「アリスは大統領」を収録したアルバム『 ビリオン・ダラー・ベイビーズ

1973年、「アリスは大統領」を収録したアルバム『 ビリオン・ダラー・ベイビーズ 』を発表。クーパーは同アルバムのプロモーションのために、実際にアメリカ大統領選挙に出馬している。彼の回想によれば、 ジョン・レノン は「アリスは大統領」を気に入って、三日続けて彼のもとへ通ってきたという 。同アルバムからは「 ノー・モア・ミスター・ナイス・ガイ 」もヒットした。1973年には シュルレアリスム 画家の サルバドール・ダリ が自ら希望して彼のショウに出演した。

アリス・クーパー 『アリス・クーパー』はアルバム『マッスル・オブ・ラヴ』(1973年)を発表後、1975年に解散を発表した。

『アリス・クーパー』はアルバム『マッスル・オブ・ラヴ』(1973年)を発表後、1975年に解散を発表した。