新たなラインナップとなったエヴァネッセンスは、 パリ でのライブを『 エニウエア・バット・ホーム 』として2004年に発売した。
2004年 、約17年ぶりのスタジオ・アルバム『スティル・ハングリー』をリリース。 2006年 には、 クリスマス ・アルバム『A Twisted Christmas』を発表した。
2003年1月、ツアーを開始。同年5月にはこのツアーを収めたライブ・アルバム「 LIVE MELT DOWN 」を、同年8月にはCLUB CITTA’公演を収めたDVD「 LIVE MELT DOWN THE SHOW STILL CARRIES ON 」をリリースするとともに「夏の陣」と題したツアーを開始。元々は坂本の2003年の冬のツアーでの発案による夏のツアーだったが、以後アンセムの夏のツアーは恒例となっている。
2003年 、アルバム制作のためにスタジオに入ったバンドは、クリス・デガーモをレコーディングセッションに誘い、その後、バンドからクリス・デガーモが再びバンドに復帰したと発表された。 クリス・デガーモはいくつかの曲の作曲やレコーディングに関わったり、ジェフ・テイトのボーカル・セッションに参加しボーカル・ハーモニーのアイデアを作るなどしていたが、ジェフ・テイトの彼に対する態度は終始いいものではなく、結局その後、クリス・デガーモは再びバンドを離れていった。 そして6月、バンドは サンクチュアリ・レコード から8thアルバム『トライブ』をリリース。アルバム・リリース後のツアーでは、マイケル・ウィルトンがリードギターで、マイク・ストーンはセカンドギタリストとして参加した。
2003年 から「 ブレット・フォー・マイ・ヴァレンタイン 」として活動開始。
ジョニー・クライストという新しいベーシストを見つけて、グループは「 ウェイキング・ザ・フォーレン 」という名の二枚目のスタジオ・アルバムをホープレス・レコーズから2003年8月に発売する。前作に比べて、より洗練され円熟した音の作りとなっていた。バンドはビルボードとボストン・グローブ紙(ボストンの日刊紙)で紹介され、ヴァンズ・ワープト・ツアー(アメリカの靴メーカー後援のツアー)に出演する 。2004年に再度ヴァンズ・ワープト・ツアーに出演し、「アンホリー・コンフェッションズ」のヴィデオを録音する。このヴィデオはMTV2のヘッドバンガーズ・ボールでローテーションとなった 。ウェイキング・ザ・フォーレンを発表してまもなく、バンドはホープレス・レコーズを離れ、 ワーナー・ブラザース・レコード と契約する。
エイミー・リーとベン・ムーディーは、ギタリストとして ジョン・ルコンプ 、さらにデモの録音などにも携わったドラムスの ロッキー・グレイ 、ベースのウィル・ボイドを加えた5人体制でバンドを固め、プロモーションとツアーを始める。しかしその最中、ヨーロッパツアー中の2003年10月22日、ムーディーがバンドから出奔するという事件が起こる。ギタリストでコンポーザーでもあるムーディーを失う痛手を受けつつもバンドはツアーを強行し、後任にはコールドのテリー・バルサモを迎えた。なおバンド脱退の理由についてムーディーは「創造性の相違」などを語っていたが、後に 双極性障害 なども理由であったことを告白している。
2003年にはかねてからの職業難聴のため左耳の聴力が3分の1になってしまったということもあり、音楽界から引退して 写真家 に転向。
アルバム・リリースにともなう長いツアー終了後の 2002年 、バンドは 薬物乱用 やその他個人的な問題を理由にケリー・グレイを解雇 。ケリー・グレイの後任には、以前ジェフ・テイトのソロ・アルバムに参加したマイク・ストーン (Mike Stone)が選ばれた。また、レイ・ダニエルズを信頼していなかったジェフ・テイトの意向により彼とのバンドのマネジメント契約を解除し、彼の妻スーザン・テイトがアシスタントを務めていたラース・ソレンセンと新たにバンドのマネジメント契約を結んだ 。
ワインド-アップ・レコーズ と契約した3人は、2002年にアルバム『フォールン』のレコーディングを開始。12月29日に、ホッジスが脱退するもアルバムを完成させ、 2003年 3月4日 に同作品でアメリカ・デビューとなった。アルバムからのリード・シングル「 ブリング・ミー・トゥ・ライフ (Bring Me To Life)」が映画『 デアデビル 』のサントラに使用されたこともあり、大ヒットを記録。世界で1400万枚のセールスを記録した。 グラミー賞 では最優秀新人賞と最優秀ハードロック・パフォーマンス賞を受賞。