glam metal

1989
エアロスミス 1989年9月、10thアルバム『 パンプ 』を発表。全米チャート5位(Billboard

1989年9月、10thアルバム『 パンプ 』を発表。全米チャート5位(Billboard 200)を記録し、売り上げにおいては、米国だけで700万枚、世界で1100万枚を超える大ヒット作となる。また「エレヴェイター・ラブ」、「ジェイニーズ・ガット・ア・ガン」、「アザー・サイド」、「ホワット・イット・テイクス」のシングルもヒットした。また、12年ぶりとなるヨーロッパツアーや初のオーストラリアツアーも行われた。

ファスター・プッシーキャット 全米28位のヒット

セカンド・アルバム『Wake Me When It’s Over』( 1989年 )からは、シングル「House of Pain」が全米28位のヒットとなった。

テッド・ニュージェント 1989年 、 ジャック・ブレイズ (元 ナイト・レンジャー )、 トミー・ショウ (元 スティクス )、マイケル・カーテロンと共に

1989年 、 ジャック・ブレイズ (元 ナイト・レンジャー )、 トミー・ショウ (元 スティクス )、マイケル・カーテロンと共に ダム・ヤンキース を結成。同バンドのメンバーとして2枚のアルバムを発表した後、ソロ活動に戻る。

アクセプト (バンド) ウドの脱退後は、 マイケル・ホワイト に続き ロブ・アーミテージ が後任として加入するが、アメリカ人の デヴィッド・リース

ウドの脱退後は、 マイケル・ホワイト に続き ロブ・アーミテージ が後任として加入するが、アメリカ人の デヴィッド・リース に決定される。またフィッシャーも再度脱退したためギタリストにイギリス人の ジム・ステイシー を加入させ、 1989年 にアルバム『 イート・ザ・ヒート 』を発表。しかし、この頃カウフマンが激しいドラミングと長年のツアーから背骨の異常をきたし活動不能になる。後任のドラマーには ケン・メアリー が加入するも、ホフマンはバンドの解散を決意。その後、ホフマンは写真家に転向し、リースはバンガロー・クワイア(Bangarole Choir)を結成、カウフマンはU.D.O.や Outrage といったバンドの作品のプロデューサーに、バルテスは ドン・ドッケン のバンドに招かれ、それぞれ活動する。

1988
リタ・フォード 1988年 には オジー・オズボーン との共作曲「永遠の眠り (Close My Eyes

1988年 には オジー・オズボーン との共作曲「永遠の眠り (Close My Eyes Forever)」が収録されたスタジオ・アルバム『リタ』をリリースした。そこからのシングルとして「永遠の眠り」のほか、「キス・ミー・デッドリー」「Back to the Cave」「Falling In and Out of Love」( モトリー・クルー の ニッキー・シックス との共作)がヒットした 。

1987
ファスター・プッシーキャット デビュー・アルバム

1987年 にデビュー・アルバム『Faster Pussycat』発表。

エアロスミス 1987年8月、プロデューサーに ブルース・フェアバーン を迎えた9thアルバム『 パーマネント・ヴァケイション

1987年8月、プロデューサーに ブルース・フェアバーン を迎えた9thアルバム『 パーマネント・ヴァケイション 』発表。全米チャート11位(Billboard 200)を記録し、「エンジェル」、「ラグ・ドール」のシングルもヒットした。翌1988年6月には11年ぶりとなる日本ツアーを行った。

トゥイステッド・シスター 1987年

1987年 8月、5枚目のアルバム『ラヴ・イズ・フォー・サッカーズ』をリリース。アルバムは前作よりもポップな路線でテコ入れを図るも、セールスは伸び悩む。リリースから約2ヵ月後の10月に、ディー・スナイダーが脱退。「アトランティック・レコード」はバンドとの契約を解消する。ヴォーカリスト不在となったバンドは、翌年1月に解散を発表した。

1986
アクセプト (バンド) 1986年 、アルバム『 ロシアン・ルーレット 』を発表するが、その直後にウドが脱退し(本人は後のインタビューで「解雇」だったと語っている

1986年 、アルバム『 ロシアン・ルーレット 』を発表するが、その直後にウドが脱退し(本人は後のインタビューで「解雇」だったと語っている )、自己のバンド U.D.O. を結成。なお、U.D.O.の1stアルバム『アニマル・ハウス』の収録曲は本来アクセプト用に作られていたが、バンド側がよりアメリカ向けの路線に変更することを決断したため、ウドが自分のアルバム用に収録した経緯があり 、そのうち”Lay Down the Law”はアクセプトのメンバーが演奏にも参加している 。

エアロスミス 1986年、 Run-D.M.C. が「ウォーク・ディス・ウェイ」をカバー。スティーヴンとジョーがレコーディングに参加し

1986年、 Run-D.M.C. が「ウォーク・ディス・ウェイ」をカバー。スティーヴンとジョーがレコーディングに参加し ミュージック・ビデオ にも出演した。このシングルは全米チャート4位(Billboard Hot 100)のヒットとなり 、エアロスミスが音楽シーンにカム・バックしていくきっかけになった。