glam metal

1994
イナフ・ズナフ 残された ドニー・ヴィー とチップ・ズナフの2人は、チップ&ドニー名義のアルバム『ブラザーズ』(1994年)を、日本の アポロン から発表

残された ドニー・ヴィー とチップ・ズナフの2人は、チップ&ドニー名義のアルバム『ブラザーズ』(1994年)を、日本の アポロン から発表 。同作は、本国アメリカではしばらく発表されなかったが、 1997年 には ボーナス・トラック を追加して、イナフ・ズナフ名義のアルバム『Seven』としてアメリカ発売された。また、イナフ・ズナフのメジャー・デビュー前の音源を収録した『1985』(1994年)も発表。

アクセプト (バンド) 1994年 の再結成2作目に発表したアルバム『デス・ロウ』は、時代に合わせたような モダン・ヘヴィネス

1994年 の再結成2作目に発表したアルバム『デス・ロウ』は、時代に合わせたような モダン・ヘヴィネス に転向する。さらにカウフマンの体調が再び悪化し、 ステファン・シュヴァルツマン (当時 ランニング・ワイルド 〜 U.D.O. )のサポートでツアーを何とか終える。

1993
ファスター・プッシーキャット 解散

1993年 に解散。

イナフ・ズナフ バンドは アリスタ・レコード

バンドは アリスタ・レコード へ移籍して『アニマルズ・ウィズ・ヒューマン・インテリジェンス』(1993年)を発表。収録曲「ライト・バイ・ユア・サイド」は、 ノルウェー のガール・ポップ・バンド、チューズデイ・ガールズのデビュー・アルバム『彼女はtuesday girl』(1995年)でカヴァーされた。しかし、アルバム制作後にはヴィック・フォックスが ヴィンス・ニール に引き抜かれたため脱退し、後任ドラマーとしてリッキー・ペアレントが加入する。同アルバムは日本の オリコン では49位 を記録するが、本国アメリカではチャート・インを果たせず、バンドはアリスタとの契約を失う。更に、かねてから ドラッグ の問題を抱えていたデレク・フリーゴも脱退。

エアロスミス 1993年、1度レコーディングしていた曲を聴き込み、それらの曲を一旦破棄し、改めて制作した楽曲をレコーディングするなどして熟考を重ねた、11

1993年、1度レコーディングしていた曲を聴き込み、それらの曲を一旦破棄し、改めて制作した楽曲をレコーディングするなどして熟考を重ねた、11thアルバム『 ゲット・ア・グリップ 』を発表。バンド初の全米チャート1位(Billboard 200)を獲得し、世界中のメインチャートでもTOP3入り(スイス1位、イギリス2位、オランダ2位、オーストリア3位、ドイツ3位、オーストラリア3位等)し、結果、前作を超える1600万枚以上の大ヒット作となった。同アルバムからは、「リヴィング・オン・ジ・エッジ」、「クライン」、「クレイジー」、「アメイジング」等のシングルも、立て続けにヒットした。MTV Video Music Awardsでは「リヴィング・オン・ジ・エッジ」が「ヴューワーズ・チョイス」を受賞 。同タイトルは、翌1994年の 第36回グラミー賞 でも「ベスト・ロック・パフォーマンス」を受賞 。また、「クライン」がMTV Video Music Awardsの最優秀賞に当たる「ビデオ・オブ・ザ・イヤー」を含む、3部門でそれぞれ受賞した さらに翌年「クレイジー」が、 第37回グラミー賞 で「ベスト・ロック・パフォーマンス」を受賞している 。また、同年に開催された日本ツアーでは、横浜・大阪・広島・福岡・名古屋等の各地での公演に続けて、 日本武道館 で計7日間の公演などを行い、初の南米ツアーも行われた。11月にはゲフィン・レコード期から選曲したベスト・アルバム『 ビッグ・ワンズ 』を発表する。

1992
アクセプト (バンド) バンド解散後に発表されたライヴ・アルバム『 ステイング・ア・ライフ 』の好評を受け、 1992年

バンド解散後に発表されたライヴ・アルバム『 ステイング・ア・ライフ 』の好評を受け、 1992年 にウドを含むラインナップでの再結成が決定した 。 1993年 のアルバム『オブジェクション・オーヴァールールド』は歓迎をもって迎えられ、スピードにこだわったこのアルバムは欧州・米国での好セールスを記録する。しかしスタジオではともかく、ライヴでも2人目のギタリストを加入させず、彼らの特徴でもあったツイン・ギターが再現されなかった。ウドはそれに不満を持ち、 2013年 のインタビューにおいて当時のことを「俺にとって、アクセプトのサウンドは常に2人のギタリストがいることが前提だったから、既に新しい問題が起こっていた」と振り返っている 。

1991
イナフ・ズナフ 次作『ストレングス』(1991年)は全米143位に達し 、収録曲「タイム・トゥ・レット・ユー・ゴー」は、 ワイルドハーツ

次作『ストレングス』(1991年)は全米143位に達し 、収録曲「タイム・トゥ・レット・ユー・ゴー」は、 ワイルドハーツ 「アンセム」(1997年、シングル)や ポール・ギルバート 『ポール・ザ・ヤング・デュード〜ベスト・オブ・ポール・ギルバート+ギルバート・ホテル』(2003年)でカヴァーされた。しかし、その後バンドはアトコとの契約を失う。

エアロスミス 1991年、MTV Video Music Awardsで「アザー・サイド」が「ベスト・メタル/ハードロック・ビデオ」を受賞 。初の

1991年、MTV Video Music Awardsで「アザー・サイド」が「ベスト・メタル/ハードロック・ビデオ」を受賞 。初の ボックス・セット 『パンドラの箱』を発表する。

1990
オジー・オズボーン 1990年、突然ライヴツアーからの引退を宣言し、アルバム『 NO MORE TEARS

1990年、突然ライヴツアーからの引退を宣言し、アルバム『 NO MORE TEARS 』を1991年にリリース。セールスはソロキャリアの中で最高を記録した。しかし1995年に『OZZMOSIS』を発表してライヴツアーを開始し、引退を撤回した。

エアロスミス 1990年、 グラミー賞 で「ジェイニーズ・ガット・ア・ガン」が「ベスト・ロック・パフォーマンス」を受賞 。 MTV Video

1990年、 グラミー賞 で「ジェイニーズ・ガット・ア・ガン」が「ベスト・ロック・パフォーマンス」を受賞 。 MTV Video Music Awards でも「ヴューワーズ・チョイス」などを受賞 。同年9月には日本ツアーを開催。