glam metal

1985
ラフ・カット メジャー・デビュー・アルバム『ラフ・カット』発表

1980年代初期に サンディエゴ で結成される。当初は ジェイク・E・リー が在籍していたが、メンバー・チェンジが続き、アミア・デラク加入後、 ワーナー・ブラザース・レコード からメジャー・デビュー・アルバム『ラフ・カット』(1985年)を発表した。2枚のアルバムを発表した後、ポール・ショーティノがバンドを脱退して クワイエット・ライオット に加入した。ペリモア・マッカーティ(元ウォリアー)が一時的に在籍するが、ほどなく解散。アミア・デラクは、後に オージー で活動。

アクセプト (バンド) 1985年 にはアルバム『 メタル・ハート 』を発表。このアルバムはドイツのアルバム・チャートで13位に達して初のトップ50入りを果たし

1985年 にはアルバム『 メタル・ハート 』を発表。このアルバムはドイツのアルバム・チャートで13位に達して初のトップ50入りを果たし 、スウェーデンでは最高4位という大ヒットを記録した 。このアルバム発売の直後に初の日本公演を行う。この模様は当初、 愛知県勤労会館 での公演を収録した6曲入りのライヴ・アルバム『 ライヴ・イン・ジャパン 』として発売され 好セールスを記録した。 1990年 には、1985年に行った大阪公演でのライヴ・アルバムが『ステイング・ア・ライフ』としてリリースされた(ビデオも存在するが、映像は日本公演のものではない)。収録曲の”Princess of the Dawn”では、観客の大合唱にダークシュナイダーが驚いている様子までが収録されている。

エアロスミス 1985年11月、プロデューサーに テッド・テンプルマン を迎えた8thアルバム『 ダン・ウィズ・ミラーズ 』を発表。

1985年11月、プロデューサーに テッド・テンプルマン を迎えた8thアルバム『 ダン・ウィズ・ミラーズ 』を発表。

トゥイステッド・シスター 1985年

1985年 11月に、4枚目のアルバム『カム・アウト・アンド・プレイ』をリリース。このアルバムは50万枚を売り上げ利益にはなったものの、前作のような大ヒットまでには至らなかった。アルバムでは アリス・クーパー 、 ブライアン・セッツァー 、 ビリー・ジョエル 、 クラレンス・クレモンズ など著名ミュージシャンも制作に加わり話題となっていたが、肝心のツアーでのゲスト参加が流れ、当初の計画が頓挫してしまった。

1984
イナフ・ズナフ 1984年 、 シカゴ の近郊にあるブルー・アイランドで結成された。当時のバンド名は”Enough

1984年 、 シカゴ の近郊にあるブルー・アイランドで結成された。当時のバンド名は”Enough Z’Nuff”で、オリジナル・メンバーは ドニー・ヴィー ( ボーカル )、チップ・ズナフ( ベース )、ジーノ・マルティーノ( ギター )、B.W. ボウスキー( ドラムス )の4人。このラインナップで制作されたデモ音源は、後にアルバム『1985』としてリリースされることになる。その後、メンバー・チェンジを経てデレク・フリーゴ(ギター)とヴィック・フォックス(ドラムス)が加入し、 1989年 に アトコ・レコード からメジャー・デビュー・アルバム『イナフ・ズナフ』を発表。同作は全米74位に達し 、「ニュー・シング」(全米67位)や「フライ・ハイ・ミッシェル」(全米47位)といったシングル・ヒットも生んだ 。ただし、彼らはいわゆる「ヘア・メタル」の一派と同類に見られがちとなり、バンド本来の持ち味であるパワー・ポップ的な音楽性は見過ごされることとなった 。

テッド・ニュージェント アルバム『刺青の侵入者』( 1984年 )では、デレク・セント・ホルムズに代わり、後に バッド・カンパニー に加入する ブライアン・ハウ

アルバム『刺青の侵入者』( 1984年 )では、デレク・セント・ホルムズに代わり、後に バッド・カンパニー に加入する ブライアン・ハウ がヴォーカルを担当。 1988年 のアルバム『青コーナーの誘惑』には、 ジョン・ボン・ジョヴィ や リッチー・サンボラ と共作した楽曲「That’s the Story of Love」を収録しているが、セールス的には成功しなかった。

アクセプト (バンド) 1984年 、フランクが脱退したのちフィッシャーが再度加入。アルバム『 ボールズ・トゥ・ザ・ウォール 』を発表し、彼らの スピードメタル

1984年 、フランクが脱退したのちフィッシャーが再度加入。アルバム『 ボールズ・トゥ・ザ・ウォール 』を発表し、彼らの スピードメタル 、 ヘヴィメタル バンドとしての地位が確立される。『ボールズ・トゥ・ザ・ウォール』は商業的にも成功を収め、母国ドイツのアルバム・チャートに初登場を果たして59位を記録 。さらにアメリカでも自身初の Billboard 200 入りを果たし、74位を記録する 。 そして、ジューダス・プリースト等と共に、英国 ドニントンパーク で開催された第5回 モンスターズ・オブ・ロック に出演した。

エアロスミス 1984年2月、エアロスミスのボストン公演をジョーとブラッドが訪れる。後日・話し合いの場が持たれてオリジナルメンバーでの再活動が決まり、諸条

1984年2月、エアロスミスのボストン公演をジョーとブラッドが訪れる。後日・話し合いの場が持たれてオリジナルメンバーでの再活動が決まり、諸条件(ドラッグ、アルコールからの脱却とマネジメントの刷新)を整えてツアーを開始。 レコードレーベル は ゲフィン・レコード に移籍する。

トゥイステッド・シスター 1984年

1984年 、イギリスで実績を積んだバンドはアメリカへ帰国。5月には、サード・アルバム『ステイ・ハングリー』をリリース。このアルバムでバンドは世界的な人気を獲得し、ツアーも成功した。同アルバムは、翌年の夏まで200万枚以上のセールスを記録。シングルカットされた「We’re Not Gonna Take It」(全米21位)と「I Wanna Rock」(全米68位)のミュージックビデオも製作され、 MTV でも頻繁にオンエアされた。 1985年 3月、初来日公演。

1983
エアロスミス 1983年9月、ジョー・ペリー・プロジェクト3rdアルバム『いつまでも熱く』発表。

1983年9月、ジョー・ペリー・プロジェクト3rdアルバム『いつまでも熱く』発表。