1999年、 第41回グラミー賞 で「ピンク」が「ベスト・ロック・パフォーマンス」を受賞 。7月にはアメリカ フロリダ州 の ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート 内の「 ディズニー・ハリウッド・スタジオ 」にエアロスミスをフィーチャーしたアトラクション「 ロックンローラー・コースター 」がオープンする。年末には再び来日し、 バックチェリー 、 MR. BIG を前座に迎えた 大阪ドーム でのミレニアム・カウントダウンライブを含む、2年連続となる4大ドームツアーを開催した。
アルバム『パラフェルネイリア』は1998年に日本で先行発売され、オリコン86位に達した 。同作には リック・ニールセン ( チープ・トリック )とジェイムス・ヤング( スティクス )がゲスト参加した。1998年9月には、初の日本公演を行う 。
1998年 、旧バンドメンバーは、ディー・スナイダー出演映画のプロジェクトに協力するため久々に集結し、バンド名義でサウンドトラック収録に参加した。これを契機にチャリティーやイベントに参加するなど、幾度か集合を重ねるようになる。そして徐々に機運が高まり、 2003年 から本格的に活動を再開した。
1997年、オリジナル・メンバーによるラインナップで再結成し、19年ぶりに復帰。 オズフェスト のヘッドライナーをはじめ欧米各地では大歓迎を持って迎えられた。1998年にライヴ盤『REUNION』を発表。
バンド自体も、オリジナル・ギタリストのジーノ・マルティーノが復帰して インディーズ で活動を再開 。ほどなく、ジーノに代わる新ギタリストとしてモナコが加入。この頃、 ドニー・ヴィー と スティーヴ・スティーヴンス の共作による楽曲「SWEET MOTION」が、 松井五郎 により日本語詞を与えられて 氷室京介 のアルバム『 I・DE・A 』(1997年)に収録された。
2度目の解散後、ウドとカウフマンはU.D.O.を再結成。ホフマンは写真家としての活動の傍ら、 1997年 にソロ・アルバム『クラシカル』を発表。バルテスは ジョン・ノーラム のアルバムに参加するなど、幅広くセッション活動をしている。
1997年3月、レコードレーベルがデビュー当時に所属していたコロムビア・レコードに変わり、プロデューサーにケヴィン・シャーリーを迎えた12thアルバム『 ナイン・ライヴズ 』を発表。前作に続き全米チャート1位(Billboard 200)を獲得した。なお、当初の ディスクジャケット は ヒンドゥー教徒 からの反感を買いかねないということで、デザインが変更されている 。翌1998年の日本ツアーでは、“海外アーティスト初”となる4大ドームツアーを開催した(名古屋・大阪・福岡・東京〈2回〉の ドーム球場 に加え、さらに追加公演として横浜アリーナ公演も2回行った)。また、同年に公開されたスティーブンの長女で女優の リブ・タイラー がヒロインを務めたハリウッド大作『 アルマゲドン 』のテーマ曲に使用された「 ミス・ア・シング 」が、バンド史上初となる全米シングルチャート1位(Billboard Hot 100)を獲得 し、4週連続1位の大ヒットとなった。同タイトルは、MTV Video Music Awardsに於いて「ベスト・ビデオ・フロム・ア・フィルム」を受賞した 。同年10月には ライブ・アルバム 『ア・リトル・サウス・オブ・サニティ』を発表した。
1996年 にはドラマーにアメリカ人の マイケル・カーテロン を迎え、再結成3作目のアルバム『プレデター』を発表するが、その後バンドは再び解散。なお、『プレデター』制作時にウドはカウフマンをギタリストに転向させ、2人目のギタリストとしてバンドに戻すことを提案したが、ホフマンに却下されている 。
1996年には、1980年代のライブ音源を中心に収録した『Rough Cutt Live』が発表された。その後、ポール・ショーティノは新メンバーを加え、ラフ・カットを再結成させた。
1995年 、アルバム『ブラック』のリリースを目途に活動を休止し表舞台から遠ざかっていたが、 2008年 になって活動を再開している 。