ツアー終了後、 1991年 に ヴィム・ヴェンダース の映画『 夢の涯てまでも 』に「Death’s Door」を提供した以外は目立った活動はなかった。
翌年1990年には「 エンジョイ・ザ・サイレンス 」を発表。全英6位、全米8位という過去最高の記録を残す。
1989年 、シングル「Personal Jesus」を発表。 カントリー・ミュージック や ブルース を匂わせるギターフレーズとメロディが注目を浴びる。
1987年 に発表された『 ミュージック・フォー・ザ・マスィズ 』は、マーティンの孤独感や人間関係のすれ違いを表現した歌詞と、アランのオーケストレーションを効果的に使ったシンセサイザーが印象に残るものであった。このアルバムでは初めてデジタル録音を取り入れた。
1986年 に発表されたシングル「Stripped」は、実験作として発表された特異な楽曲であり、続いて発表された『ブラック・セレブレーション』で効果的に使われ、次第に彼らの特色となる立体的でアンビエントを取り入れた音響効果の片鱗を伺わせる作品となった。『 ブラック・セレブレーション 』はその名の如く歌詞も死や闇といったものからの影響が色濃く出ている作品である。
1985年 、初のベスト盤となる『 ザ・シングルズ ’81-’85 』を発表。アメリカでは同時期に Catching Up with Depeche Mode という収録曲が一部異なるベスト盤も発売されている。
1984年 に発表された『 サム・グレート・リウォード 』は、挑発的な楽曲が込められた作品であり、売り上げも過去最高のものとなる。先行シングルとなった「People Are People」は全英チャート4位、全米チャート13位など欧米でヒット。バンドのイメージを一新する、 人種差別 と 暴力 をテーマにしたこの曲は、様々なアーティストがカバーした。アメリカでは サイアー・レコード から同名のミニアルバムが発売されている。
やがてバンドは4番目のメンバーを求め、オーディションの結果、当時22歳のアラン・ワイルダーをメンバーとして選んだ。実はこの時、アランは年齢を詐称していたが、問題にはならなかった。 1983年 に4人編成に戻ってから初のシングルとなる「Get the Balance Right!」を発表。これは後のベスト盤までアルバムには収録されなかった。
デビューのきっかけは、彼らのステージを東ロンドンにあるパブ「ブリッジハウス」で見た、 ミュート・レコード の ダニエル・ミラー に声をかけられたことである。この出会いが、デペッシュ・モード、そしてミュート・レコードの後の運命を変えた。彼らは 1981年 2月 にデビューシングル「Dreaming of Me」を発表。全英チャートで57位を記録する。続いてシングル「New Life」を発表、これが全英チャート11位を記録するスマッシュヒットとなり、3ヵ月後に出した「 Just Can’t Get Enough 」では全英チャート最高8位と着実に成果を出していく。そして満を持して発表したアルバム『 ニュー・ライフ 』は全英チャート10位を記録し、評論家や雑誌から好意的な評価を得た。時代は ニュー・ウェイヴ の最盛期であり、その時流に乗った形となる幸先のよい船出であった。
しかし、ここで最初の不協和音と困難がバンドを襲う。かねてからプロモーションとツアー活動に不満を漏らしていたヴィンスが 1981年 に脱退してしまう 。作詞作曲を手がけていたヴィンスの脱退はバンドにとってダメージとなったが、『ニュー・ライフ』で「Tora! Tora! Tora!」と「Big Muff」の2曲を手がけたマーティンが代わりに作詞作曲を担当することでバンドを存続させ、この件がマーティンの才能を開花させるきっかけとなった。