2004年 、シングルのカップリングに収録されていたリミックスを集めた『 リミックス 81-04 』を発表。ただし、全てのリミックスを網羅していない。
2003年 、デイヴ、マーティンはそれぞれソロ作品を発表する。特にデイヴは自ら作詞作曲にチャレンジしたことから、一部からはバンド解散が危惧された。
一方フレッチは自らのレーベル「トースト・ハワイ」を立ち上げ、 クライアント という女性エレクトロデュオをプロデュースした 。
2001年 の『 エキサイター 』では、かつての LFO の中心メンバーで、 ビョーク らとの仕事で実績のある マーク・ベル をプロデューサーに迎える。 IDM など先進的な テクノ や ハウス の要素を盛り込み、従来のアルバムとは毛色の違うものとなったが、評価は二分され NME や ローリング・ストーン といった雑誌は好意的に受けとったが、多くのメディアが否定的な見解を見せた。売り上げは340万枚。
ロバート・マーロウとポール・レッドモンドとの活動はここで終わるが、ロバートはミュージシャンとして4年ほど活動し4枚のシングルを出した後、休業。 1999年 に復帰し『The Peter Pan Effect』というアルバムを出している。
1998年 、2枚目のベストアルバム『 ザ・シングルズ ’86-’98 』を発表。これに合わせシングル「Only When I Lose Myself」も発表している。また最初のベストアルバム『ザ・シングルス ’81-’85』も曲を追加して再発され、過去の曲を積極的に選曲したツアーも行われた。
1997年2月に完成した
薬物治療を経て回復した矢先の 1996年 5月28日 、親族から電話で懲りずに繰り返すと言われたことに逆上し、 ロサンゼルス のホテルの一室で ヘロイン と コカイン の混合物を大量に注射し、手首を切って自殺を図った。偶然、友人がデイヴの滞在していた部屋を尋ね、意識を失ったデイヴを発見し通報、病院へと搬送された。その途中、デイヴの心臓が2分間止まっている。一命は取り留めたものの、2日後に警察に逮捕され、裁判の結果9ヶ月のリハビリを命じられ、これを達成する。以来、長年使用していた薬物と縁を切り、住んでいたロサンゼルスを離れ ニューヨーク へと移った。
1995年 6月 、アランがバンドからの脱退を表明する。その理由として、「バンドでの音楽面の貢献に対する自分への敬意が払われていない」と主張した。
1992年 からバンドは次のアルバムに向け活動を再開、録音は スペイン で行われたが、街から遠く離れた別荘で行われたため、事実上の監禁状態にあった。そうした中で生まれたシングル「I Feel You」は グランジ・ロック や オルタナティヴ・ロック の影響を色濃く受けたロックナンバーであり、バンドのイメージをさらに一新させるものとなった。加えてデイヴの風貌はかつてのオールバックから長髪に髭を蓄えたものへと変化した。