「Betterman」はTriple J Hottest 100, 2001で5位に達した。
彼は2001年に初の米国ツアーに参加した。
ジョン・バトラー・トリオは、ラジオで流れるのに十分な長さの楽曲を収録した4曲入りのEP『JBT』を2000年4月にリリースした。
バンドは、2000年にバイロンベイで開催されたEast Coast Blues & Roots Music Festivalでのパフォーマンスで、より広い評価を得始めた 。
トリオは1999年に西オーストラリア州をツアーした後、ザ・ウェイフスにソロで彼らのオーストラリアツアーに参加するよう招待され、彼自身もギグを行った。その後、ジョン・バトラー・トリオは独自のツアーを開始し、そこでバトラーは将来の妻となるダニエル・カルアナと ブルーム で出会った。
1999年、 第41回グラミー賞 で「ピンク」が「ベスト・ロック・パフォーマンス」を受賞 。7月にはアメリカ フロリダ州 の ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート 内の「 ディズニー・ハリウッド・スタジオ 」にエアロスミスをフィーチャーしたアトラクション「 ロックンローラー・コースター 」がオープンする。年末には再び来日し、 バックチェリー 、 MR. BIG を前座に迎えた 大阪ドーム でのミレニアム・カウントダウンライブを含む、2年連続となる4大ドームツアーを開催した。
1999年までにギレスピーとマッギーは和解した 。マッギーは同年の11月にクリエイションの閉鎖を宣言し、2000年1月に発売された『 XTRMNTR (エクスターミネーター)』はクリエイション・レコーズ最後のアルバムとなった 。ケヴィン・シールズ、 ケミカル・ブラザーズ 、 ニュー・オーダー の バーナード・サムナー 等が参加したこのアルバムは、今までにない政治的姿勢を打ち出した攻撃的な歌詞が並んだ 。 パブリック・イメージ・リミテッド の名が引き合いに出されることも多かったこのアルバムは、売り上げはさほど伸びかったものの、多数のメディアから好意的なレビューを贈られた 。久方ぶりに制作に深く関与したマッギーは「間違いなくこの年のベストアルバムに入る」と絶賛した 。「10年後に振り返ったとき、皆プライマル・スクリームはいいバンドだったと口にする 」とも。その言葉は現実のものとなり、2009年にNME誌が発表した2000年代のベストアルバム100選の中で、このアルバムは3位にランクされた 。
12月にアルバム『John Butler』を自主制作でリリースした 。
1998年、サンフランシスコにて当時高校生だったピーターとロバートが出会ったことをきっかけに結成された。その後、ドラマーとして イギリス から越してきたばかりのニック・ジャゴーが加入。結成当初はバンド名を「ジ・エレメンツ」と名乗るも、すでに同名のバンドが存在することが判明し、「ブラック・レベル・モーターサイクル・クラブ」に改名 。
アルバム『パラフェルネイリア』は1998年に日本で先行発売され、オリコン86位に達した 。同作には リック・ニールセン ( チープ・トリック )とジェイムス・ヤング( スティクス )がゲスト参加した。1998年9月には、初の日本公演を行う 。