2009年 10月 から2週に1曲、7インチ CD と配信によって1年をかけ26曲を発表するという『エー・ゼット・シリーズ』というプロジェクトを開始する。 2010年 4月 、エー・ゼット・シリーズの前半13曲を軸に構成されたアルバム『エー・ゼット・ボリューム1』を発表。 日本盤発売日の前日には ブロック・パーティー のギタリスト、 ラッセル・リサック がセカンド・ギタリストとして同行し、一夜限りのライブを行う。
翌 2008年 には、札幌から福岡までを巡る長期の単独日本縦断ツアーを敢行した。 さらに間髪入れず、7月には アジアン・カンフー・ジェネレーション 主催の NANO-MUGEN FES. に出演。
そして 2007年 6月 、3人体制へ戻ってから最初の作品となる5作目『トワイライト・オブ・ジ・イノセンツ』を発表。メンバーが最高傑作と口をそろえる先行シングルの「ユー・キャント・ハヴ・イット・オール」(全英16位)を筆頭に、キャッチーさを追求したポップなロックナンバーが揃った。しかし一方では彼らの「深化」を象徴するように、 サイケデリック な要素を持ち込み、 ストリングス を大きく導入した壮大な展開をみせるなど、これまでにない実験性も覗かせている。このアルバムは、snoozer誌編集長の 田中宗一郎 からは「キャリア15年目の最高傑作」と絶賛され、ファンからも好意的なレビューで迎えられたが、英プレスからの評価はそれに比べるとやや辛辣で、商業的には全英32位と前作までに比べるといまひとつに留まった。
さらに 2006年 に、前年からソロ活動を始めていた シャーロット が突如脱退し、再び結成時の3ピースに戻るという事態に直面する(実際は、ソロ活動とアッシュの活動を並行させることの折り合いがつかなくなった彼女への、他のメンバーからの脱退勧告であった。現在のところ、声明では脱退後も彼女とメンバーとの関係は良好であると説明されている)。 加えてレーベルとの契約問題やティムの婚約解消などといったネガティブな出来事が降りかかり、バンドは混乱状態に陥る。そんな辛い経験を経て、「大人になり、理想やロマンチックな気持ちだけでは物事を見られなくなった」という想いを込めたニュー・アルバムの製作が進められた。
2005年 には親交のある アジアン・カンフー・ジェネレーション の主催する NANO-MUGEN FES. に出演。
トップ・バンドとして返り咲いた勢いそのままに 2004年 、4枚目のオリジナル・アルバム『メルトダウン』をリリース。メンバーが作りたかったというヘビィな骨太ロックを標榜し、かつ アメリカ での成功を視野に ニルヴァーナ が『 ネヴァーマインド 』をレコーディングしたLAのスタジオにて製作された本作は、全編を通して シャーロット のバックコーラスを全面に押し出し、かつ メタル 的な要素を得意の「ポップさ」で咀嚼した、これまでで一番勢いのあるエネルギッシュな仕上がりをみせた。ライブアンセム「オルフェウス」(全英13位)に示されるように、ライブパフォーマンスの熱気をパッケージした乾坤一擲のこの野心作は、前作の爆発的ヒットにこそ及ばなかったものの全英5位にチャートインし、 ゴールド・ディスク を獲得する成績を残した。
『メルトダウン』がリリースされた 2004年 前後は、ちょうど リバティーンズ から フランツ・フェルディナンド に至る ポスト・パンク 系バンドが台頭し、以来、堰を切ったように次々とインディ・ギターバンドが頭角を現す空前の若手バンド・ブームが到来した時期だったせいもあって、英国メディアからは“アッシュは時代遅れのロック”などといった論評が散見されるようになった。
勢いを失っていた彼らだが、半年間の休養を経て、基本にたち帰った楽曲作りに集中するようになる。バンドは スペイン に一軒家を借り切り、そこで、ティムが書き溜めていた50曲以上の原案を正直で誠実なポップ・メロディへと結実させるべく力を注いでいった。 そうして 2001年 、サード・アルバム『フリー・オール・エンジェルズ』を完成させる。この作品は同じ週にリリースされた ジャネット・ジャクソン のアルバムを押さえ、見事、チャート1位を獲得し、英国内だけで100万枚以上、全世界で300万枚のセールスを記録。「シャイニング・ライト」(全英8位)、「バーン・ベイビー・バーン」(全英13位)など5枚ものシングルカットを生んだこのプラチナ・アルバムによってバンドは劇的な復活を遂げたのであった。さらに同作品は同じ年のベスト・アイリッシュ・アルバムにも選ばれるなど、アッシュに最大の成功をもたらすこととなった。
1998年 、難産の末にセカンド・アルバム『ニュー・クリアー・サウンズ』を発表。ブームの狂騒が10代のバンドに与えた重圧は大きく、その結果、陰鬱なテーマを持って完成したこのアルバムは前作に比べ興行的に振るわず、苦戦を強いられることになった(ティム自身「やはり他のアルバムに比べればいい曲は少ないかな」と語っている)。
そして ブリットポップ ブームの絶頂期にあった 1996年 、メジャー・デビュー作となるファースト・アルバム『1977』をリリース。「ガール・フロム・マーズ」(全英11位)に代表される若々しく躍動感に満ちたこのアルバムは全英チャートで1位に輝き、「ゴールドフィンガー」(全英5位)、「オー・イエー」(全英6位)などのシングルヒットも加わって瞬く間にプラチナム・セールスを記録。10代のバンドとして破格の成功を収めることとなった。