その後、バンドはテレビの音楽番組『The Tube』への出演を決めるとともに、メジャーレーベル「 アトランティック・レコード 」と契約を交わした。 1983年 、同レーベルから最初のアルバム『ユー・キャント・ストップ・ロックンロール』をリリース。シングルカットされた「I Am (I’m Me)」は、 全英シングルチャート で18位を獲得した。第3弾シングル「You Can’t Stop Rock’n’Roll」の ミュージックビデオ も制作された。
1982年 、ドラマーがA.J. ペロに交代。同年、N.W.O.B.H.M.ムーブメントがピークを迎えたイギリスへ渡る。
1982年8月、ブラッドに代わるギタリストに リック・デュファイ を迎えて7thアルバム『 美獣乱舞 』を発表。
1982年 6月、まずはイギリスのインディ・レーベル「シークレット・レコード」からEP『ラフ・カッツ』を先行リリースし、直後にデビュー・アルバム『アンダー・ザ・ブレイド』を発表した。
1982年 、フィッシャーの脱退後、 ヤン・コウメット ~ ハーマン・フランク の加入を経て、アルバム『 レストレス・アンド・ワイルド 』を発表。
1982年8月、第22回レディング・フェスティヴァル3日目に出演し、喝采を浴びる。
1981年8月、ブラッドがデレク・セント・ホルムズとアルバム『ウィットフォード/セント・ホムルズ』を発表しバンドから脱退する。また、ジョー・ペリー・プロジェクトは2ndアルバム『忘れじのロックン・ロール』を発表する。
1981年 、3枚目のアルバム『Breaker(邦題: ブレイカー〜戦慄の掟 )』発表時、英国では NWOBHM のムーブメントが起こっており、それに呼応する形で彼らの存在が認められていった。このころからマネージメントを引き受けるようになったマネージャーのギャビー・ホーク(現在はホフマンの妻でもある)の活躍もあり、バンドは ジューダス・プリースト の前座としてワールド・ツアーを行い、ヨーロッパのみならずアメリカでも高い評価を得る。
1980年3月、ジョー・ペリー・プロジェクトが1stアルバム『熱く語れ!』を発表。一方、スティーヴンの負傷などにより活動が停滞していたバンドは、10月に初の ベスト・アルバム 『グレイテスト・ヒッツ』を発表する。
1980年代 の末期に差し掛かかると、 グラムメタル ( LAメタル )のムーブメントが終息に向かい、バンド人気も下降していく。