2001年4月、ジョン・バトラー・トリオは『Three』をリリースし、東海岸でのプロモーションのためにメルボルンに移った。
2001年 4月から52週にわたって1年以上チャートインを記録するなど
4月 に公式サイトにて新たに8曲のレコーディングとミキシングが終わり、 5月 もレコーディングを継続する旨を伝えた。
2001年 3月、ファーストアルバム『 ゴリラズ 』をリリース。
2001年のARIAミュージック・アワードで、このアルバムは「ベスト・インディペンデント・リリース」賞を受賞した 。
2001年9月11日の アメリカ同時多発テロ事件 を受けてアルバム制作は頓挫した。現実のものとなってしまった「ボム・ザ・ペンタゴン」は「ライズ」へ、政治的な歌詞が目立った「ドレスデン」は「デトロイト」へ曲名が変更された。当初4月に発売がアナウンスされたアルバムの発売は結局8月まで延期された(日本盤は7月31日)。同年の MTV ヨーロッパ・ミュージック・アワードのビデオ部門にノミネートされた「ミス・ルシファー」を先行シングルに『 イーヴル・ヒート 』は2002年8月5日に発売された。前作の路線を継承しつつ「パンクっぽさは減った 」(マニ)このアルバムには、久方ぶりの参加となるアンドリュー・ウェザオール率いる トゥー・ローンズ・スウォーズメン 、ケヴィン・シールズ等がプロデュースを務め、ジーザス&メリーチェインの ジム・リード 、 ロバート・プラント 、ケイト・モスがゲスト参加した 。
2001年 、セルフタイトルのデビューアルバムをリリース。同アルバムはデスナー兄弟らが設立したBrassland Recordsの最初のリリースでもある。 2003年 に2ndアルバム”Sad Songs for Dirty Lovers”、 2004年 にEPの”Cherry Tree”をリリースした後、 ベガーズ・バンケット・レコード と契約する。
続く エレヴェイション・ツアー では、ポップマート・ツアーの大掛かりな舞台装置から一転し、アリーナを中心とした、より観客との距離が近いステージを選択した。巨大な多層スクリーンを廃し、観客を取り囲むようにハート型の花道を設けたシンプルな舞台構成によって、ボノやエッジが客席の間近まで移動できる親密な空間を作り上げた。2001年3月から12月までに全113公演を行い、約218万人を動員。興行収入は約1億4,350万ドルに達し、同年の世界ツアー興行収入で1位を記録した 。
11月には『エコー・パーク』のヒットにより、デビュー当初からフィーダーを取り上げていた雑誌「 ケラング! 」が主催する”2001 Kerrang! awards”で”Best British Live Act”を受賞した。
彼らは2001年にアルバム The Grand Pecking Order を発表 。