フィオナ・アップルのサード・アルバム『 エクストラオーディナリー・マシーン 』(Extraordinary Machine)は ジョン・ブライオン によって製作され、2003年5月にソニーの重役にマスターが引き渡された。伝えられるところによるとソニーはその完成品に関心を示さず、2年以上にわたってこのプロジェクトをお蔵入りにした。
2003年
2003年 (平成15年)、 日本クラウン と契約。同年 8月21日 にシングル「-Believe-」で メジャーデビュー を果たす。 12月25日 にはメジャー初のアルバム『Ultimate Circus』を発売。以降 2006年 (平成18年)まで日本クラウンに在籍し、シングル8枚、アルバム3枚、ベストアルバム1枚、DVD5枚を発表する( バップ へ移籍後にも日本クラウンからベストアルバム1枚、DVD2枚が発表されている)。
2003年にはドイツの打楽器グループであるElbtonalPercussion が、全収録曲が彼の作品であるアルバム ElbtonalPercussion Plays Stewart Copeland を発表した 。
同年10月、自らのUKツアー16公演の オープニングアクト に、デビューアルバムをリリースしたばかりの ザ・リバティーンズ を抜擢。12月、 フー・ファイターズ の欧州ツアー4公演に参加。12月9日の アムステルダム 公演では、スーパーグラスの演奏中に テイラー・ホーキンス がドラムで飛び入り参加した 。2003年1月23日、「シーン・ザ・ライト」をシングルカット。カップリングには ニール・ヤング の「ローナー」のカバーを収録し、22位を記録。8月4日、「ラッシュ・アワー・ソウル」をシングルカット。この曲のPVではギャズが本物そっくりなホームレス役を演じたが、チャート入りは逃している。9月~10月、 レディオヘッド の全米ツアー10公演に参加するも、メンバーの家族の病気によりツアー終盤での離脱を余儀なくされる 。12月、バンド結成10周年を記念するDVD制作のために、公式サイトを通じてファンから映像の募集を呼びかける。映像はメンバーが映っていればどんな内容でも構わず、コンサートで隠し撮りされたものであれ告発するつもりはないと保証した 。
オレゴン州 ポートランド に活動拠点を移した後、 2003年 、2作目『シューツ・トゥ・ナロー』を発表。本国アメリカで非常に高い評価を受ける。
2003年 3月、2ndアルバム『 メテオラ 』をリリース。初週に81万枚を売り上げ、アメリカとイギリスで初登場1位を獲得した 。現在までに全世界で2,700万枚以上の売り上げを記録している 。同年11月には1stライヴ・アルバム『 ライヴ・イン・テキサス 』をリリース。 2004年 には ジェイ・Z との マッシュ・アップ 作品『 コリジョン・コース 』をリリースし、全米で初登場1位となった。なおジェイ・Zは、2005年にバンドMCの マイク・シノダ が立ち上げたサイド・プロジェクト『 フォート・マイナー 』にエグゼクティブ・プロデューサーとして参加している。
2003年ローリング・ストーン誌が選ぶ偉大なロック・アルバム500枚の473位にランクインした。
2003年の『 アブソルーション 』では前作のスタイルを踏襲し、「過剰なまでの轟音ギターのアンサンブルと切なく鋭いボーカル」 をより推し進めたサウンドを展開。「エピック・ロック(壮大なロック)」と形容された。発売初週の売上は前作の倍を記録し、全英初登場1位 。 イギリス を含む ヨーロッパ 全土で100万枚を売り上げ、初めてチャートインした アメリカ でもゴールドを獲得、全世界トータル売上は300万枚を超える大ヒットとなった。また、 ブリット・アワード では最優秀アルバム、最優秀ロック・アクトなど4部門にノミネートされた。
2003年 4月8日 から行われたプロジェクト・レボリューションのツアーに、アメリカの 軍人 とその家族を特別ゲストとして招待、「国のために自ら犠牲を払っている人たちに対して、お返しをする必要があると思う」と述べ、軍人らを称えた 。 2004年 に 東南アジア 地域が スマトラ島沖地震 による災害に見舞われた際には、 赤十字 の協力のもとに基金団体『ミュージック・フォー・リリーフ(Music For Relief)』を設立。バンド自身も10万ドルを寄付し、ファンらにも寄付を呼びかけた 。また 2005年 に チェスター・ベニントン はアメリカ南東部を襲った ハリケーン・カトリーナ の被害救済のチャリティー企画に参加した ( モトリー・クルー のヒット曲『Home Sweet Home』を再レコーディングし、その売上げを被害救済に充てるというもの)。