1987年 、シュガーキューブスは イギリス では ワン・リトル・インディアン 、 アメリカ では エレクトラ・レコード と契約した。同年8月にシングル「 バースデイ 」をリリースする。このシングルが BBCラジオ で流されたことを機にシュガーキューブスは注目されるようになり、バンドの代表曲にもなった。
1987年 にリッキー・メドロック・アンド・ブラックフットと改名して活動し、 1997年 に解散。メドロックはレーナード・スキナードに再加入した。
映画『 ウォール街 』(1987年)
1987年 は順調に始まった。シングル「ショップリフターズ」は年頭にリリースされ、子供たちに万引きを奨励するかのような歌詞に反発もあったものの、UKチャート12位に達した 。
1987年、プライマル・スクリームは、マッギーが ワーナー と共同出資して設立した エレヴェイション・レコーズ からファーストアルバム『 ソニック・フラワー・グルーヴ 』を発売した。作中の何曲かには、後に正式メンバーとなる フェルト のキーボーディスト、 マーティン・ダフィ が参加した。 バーミンガム 出身のこのキーボーディストには、ギレスピーと同じく労働組合幹部の父がいた 。元 レッド・クレイオラ のメイヨ・トンプソンがプロデュースしたこのアルバムは、メディアの高い評価とは裏腹に商業的な成功は収められなかった 。ワーナーから契約を破棄されたバンドはクリエイションに復帰し、12000ポンドのレコーディング費用を受け取り、次のアルバム制作に取り掛かった 。ファーストアルバムでギレスピーと共にバンドの中核を担ったビーティはすでにバンドを離れていた。ビーティ脱退後、ヤングがベースからギターへ転向し、ビーティ、ギレスピーの連名だったソングクレジットは、全てギレスピー、イネス、ヤングの連名へと変わった。
セールス的には好調が続いたが、メンバーの考え方の違い、特にモリッシーとマーの間の緊張が高まっていたことによってバンドは分裂の危機にあった。1987年8月、NME誌に掲載された「分裂に向かうスミス」(Smiths to Split)と題する記事をきっかけに、ついにマーがバンドを去ることが発表された。マーは当時この記事を、事実とは異なり、モリッシーの情報提供によるものと疑っていた 。
1987年
こうしたアメリカン・ルーツ・ミュージックへの探求と、アイルランドの伝統音楽の要素、さらにはアメリカという国が抱える「理想の神話と冷酷な現実」に対するボノの政治的・文学的な関心が一つに結実したのが、 1987年 3月9日 に発表された5作目のアルバム『 ヨシュア・トゥリー 』である。前作に引き続きブライアン・イーノとダニエル・ラノワをプロデューサーに迎えた本作は、彼らのトレードマークであったヨーロッパ的でアンビエントな音響空間に、アメリカ音楽のアーシーな土臭さを見事に融合させた傑作となった 。
彼らの音楽に注目したのが U2 の ボノ で、彼が設立したマザーレコードからデビューシングル「Love don’t work this way」を発表した( 1987年 )。
ワシントン州 の アバディーン でリードシンガー/ギターのカート・コバーン、ベースのクリス・ノヴォセリック、そしてドラムのアーロン・バークハートによって1987年にバンドを結成。バンド名は、フィーカル・マター、セルアアウツ、スキッド・ロウ、ペン・キャップ・チュー、テッド・エド・フレッドといった変遷を経て、最終的に「ニルヴァーナ」( 涅槃 )に落ち着いた 。