the pillowsは、バンドの構成や楽曲の傾向から第一期(1989年 – 1993年)、第二期(1994年 – 1996年)、第三期(1996年 – 2012年)、第四期(“末期”)(2013年 – 2025年)に分けられる 。
1980年後半のグランジシーンにて存在感を増しつつあったニルヴァーナは、1989年に独立レーベルであるサブ・ポップと契約を交わし、彼らの最初のアルバムである『ブリーチ』をリリースした。バンドのメイン作曲者であったカートは、次第に”静かなヴァースと激しいヘビーなコーラスの繰り返し”というダイナミックな対比という手法を確立していく。それからほどなくして、技術的な問題からカートはドラマーのチャドを解雇する。その後、オーディションを経てデイヴ・グロールをドラマーに迎え、よく知られたメンバーが顔をそろえることとなる。
第一期とは結成日である1989年9月16日から初代リーダーであるベーシスト上田ケンジが脱退する1993年までの期間を指す。上田がバンドの主導権を握っており 、各メンバーの実力も発展途上の時期とされる 。
1989年 日本初来日公演。
第一期 KENZI & THE TRIPS の解散 後、ベーシストであった上田ケンジは コインロッカー・ベイビーズ のボーカリストであった山中さわおとの新しいバンド結成を構想した。その後KENZI&THE TRIPSのドラマーであった佐藤シンイチロウを誘い、また ペルシャ のギタリストであった真鍋吉明を加えて、1989年9月16日にthe pillowsが結成された 。the pillowsというバンド名は、結成時にメンバーが真鍋宅に集合した際、たまたまレコード棚にあった チェリーレッド・レコード の オムニバス・アルバム 『ピロウズ&プレイヤーズ – Pillows & Prayers 』に由来する 。バンド名について山中さわおは「自分は多様な楽曲を書く ソングライター であるため、バンド名はジャンルを特定しない名前がよかった」と語っている 。「pillow」が日本語で意味する「 枕 」という文字はしばしばバンドを象徴する言葉として用いられ、同様に結成日を示す「 916 (9月16日)」という数字もグッズなどのデザインに用いられることがある 。
1989年9月、10thアルバム『 パンプ 』を発表。全米チャート5位(Billboard 200)を記録し、売り上げにおいては、米国だけで700万枚、世界で1100万枚を超える大ヒット作となる。また「エレヴェイター・ラブ」、「ジェイニーズ・ガット・ア・ガン」、「アザー・サイド」、「ホワット・イット・テイクス」のシングルもヒットした。また、12年ぶりとなるヨーロッパツアーや初のオーストラリアツアーも行われた。
1989年に発売されたセルフタイトルのセカンドアルバム『 プライマル・スクリーム 』は、 ガレージ・ロック 色の濃いアルバムとなった 。このアルバムはインディチャートでトップとなるが、チャートからは4週間で姿を消した 。後年、クリエイションのプレス担当を務めたジェフ・バレット は「誰からも受け入れられなかった。まったく誰からも」と、当時の状況を振り返った 。好意的な記事は『 メロディ・メイカー 』誌に僅かに載る程度に終わり、最終的にバレットはクリエイションを解雇された 。彼はプライマル・スクリームとの関係を継続させてくれるよう懇願したが、マッギーはそれを受け入れなかった 。
1989年9月、セカンド・アルバム『トゥデイ・トゥモロウ・ネクスト・ウィーク!』をリリースする。アイナール・オルンのボーカルが全面に出たこのアルバムは多くのレコード・レビューにて不評となり、『ライフ・イズ・トゥー・グッド』よりも評価を下げることとなった 。シングル「レジーナ」と「プラネット」はイギリスの インディーズチャート で1位を獲得したが、アイスランド以外のメインストリーム・チャートでは振るわなかった。アルバム・リリース後には長期のワールド・ツアーに乗り出し、1990年初旬には来日公演も果たしている。ツアーを終えた1990年後半、バンドは解散を検討し始め活動を休止し、各メンバーはソロ活動を行うことになる 。この時期、ビョークはソロで多くのイギリス・ミュージシャンと共作を行っている。
1989年 、 ジャック・ブレイズ (元 ナイト・レンジャー )、 トミー・ショウ (元 スティクス )、マイケル・カーテロンと共に ダム・ヤンキース を結成。同バンドのメンバーとして2枚のアルバムを発表した後、ソロ活動に戻る。
3人は1989年に アニマル・ロジック ( Animal Logic )と名乗って、マイルスの I.R.S.レコード から 同名のファースト・アルバム を発表し、世界ツアーにも出た。