rock

1997
フィーダー (バンド) 1997年 5月、初のフルアルバム『 ポリシーン (Polythene)』がリリースされ、日本でもデビューする。 グランジ

1997年 5月、初のフルアルバム『 ポリシーン (Polythene)』がリリースされ、日本でもデビューする。 グランジ の影響を強く受けたヘヴィなサウンドを特徴としていたため、UKの音楽メディアには「 スマッシング・パンプキンズ に対するイギリスからの回答」と評されることが多かった。

プライマル・スクリーム 「コワルスキー」を先行シングルに、『 バニシング・ポイント 』は1997年の6月に発売された。アルバムは ダブ

「コワルスキー」を先行シングルに、『 バニシング・ポイント 』は1997年の6月に発売された。アルバムは ダブ の影響が色濃い作風となった。クリエイションと深い関係を持つライターの伊藤英嗣は「ダブからロックンロールまで多彩な要素が自然に消化されたアルバム」と評した 。プロデューサーは ブレンダン・リンチ が務め、セカンドシングルになった「スター」では オーガスタス・パブロ がピアニカで参加した 。「コワルスキー」のミュージックビデオは、1996年のシングル「 ザ・ビッグ・マン&ザ・スクリーム・チーム・ミート・ザ・バーミー・アーミー・アップタウン 」で競演した アーヴィン・ウェルシュ の監修の下、元ジーザス&メリーチェインの ダグラス・ハート が監督を務め 、モデルの ケイト・モス が出演した 。『 バニシング・ポイント 』は1971年アメリカで公開された ロードムービー で、公開から年月が経った当時でもカルト的な人気を持っていた。アルバムタイトルはこの映画から採られたもので、「コワルスキー」はこの映画の主人公の名前である。同曲中には映画の中から取られた台詞、音声がいくつもサンプリングされている。同年10月には エイドリアン・シャーウッド によるダブ・リミックス・アルバム『 エコー・デック 』が発売された。

カイザー・チーフス 活動を開始

中学校以来の仲間であったニックとピーナッツとサイモンに、 リーズ のクラブで知り合ったリッキーとアンドリューが加わって、 1997年 にラストン・パーヴァというバンドを結成して活動を開始した。

スーパーグラス 1997年3月26日、2ndアルバム『イン・イット・フォー・ザ・マネー』を日本で先行発売。ちなみに発売直前に、タイトルにちなんでメンバーがバ

1997年3月26日、2ndアルバム『イン・イット・フォー・ザ・マネー』を日本で先行発売。ちなみに発売直前に、タイトルにちなんでメンバーがバスキング(路上ライヴで小銭などを稼ぐこと)をしているジャケットに変更されることになったが、日本では差し替えが間に合わなかったためそのまま発売された。同月31日、先行シングル「リチャード三世」をリリース。それまでの明るいイメージを覆すヘヴィな曲ながら、チャート2位を記録。

フィオナ・アップルは盛んなメディア露出の中で形成されていった自分の パブリックイメージ

フィオナ・アップルは盛んなメディア露出の中で形成されていった自分の パブリックイメージ にアップルは苦しむことになる。最も良く知られているのが1997年の MTV Video Music Awards にて“Best New Artist”を受賞したときのことで、彼女は「この業界は腐りきっている。この業界の人間がクールだと決めたこと、ファッション、考え方に影響されて自分たちの生き方を変えるなんて馬鹿げている」とメインストリームの音楽業界を批判した。彼女は マヤ・アンジェロウ の“Go with yourself”という言葉を引き合いに出してもいる。彼女の発言は授賞式の場では拍手と喝采をもって賞賛されたものの、メディアからはすぐに総スカンを喰らい、 クリス・ロック などはそのスピーチに関して嘲笑ともとれるコメントを残している。

スーパーグラス 1月、5度目の来日公演。東京では第1回の ブリティッシュ・アンセムズ に ヘッドライナー として出演。また名古屋・大阪では

1月、5度目の来日公演。東京では第1回の ブリティッシュ・アンセムズ に ヘッドライナー として出演。また名古屋・大阪では ザ・デッド60s と 対バン ライヴを行うなど、全3公演。スーパーグラスとしてはこれが最後の来日公演になった。9月10日、 中国 の野外ロックフェス「北京ポップ・フェスティバル」に出演。ちなみに、スーパーグラスは 1997年 に チベット を支援するためのコンピレーション・アルバム『ロング・リヴ・チベット』に参加していたが、中国での出演が実現している。

パルプ (バンド) 1997年、映画『 007 トゥモロー・ネバー・ダイ 』の主題歌候補として「トゥモロー・ネバー・ライズ」を作詞・作曲するが、最終選考で

1997年、映画『 007 トゥモロー・ネバー・ダイ 』の主題歌候補として「トゥモロー・ネバー・ライズ」を作詞・作曲するが、最終選考で シェリル・クロウ に敗れた 。

パルプ (バンド) 一躍スターダムにのし上がり、人気も頂点に達した彼らだが、ジャーヴィスは周囲からの異常な賞賛と、過度の期待がために徐々に精神を蝕まれていき、そ

一躍スターダムにのし上がり、人気も頂点に達した彼らだが、ジャーヴィスは周囲からの異常な賞賛と、過度の期待がために徐々に精神を蝕まれていき、そこから逃避するかのように酒とドラッグに溺れていった。 1997年 、ブームの狂騒に嫌悪と無気力感を覚えたジャーヴィスは、これまでと作風の異なる陰鬱な新曲「ヘルプ・ジ・エイジド」を作るが、この曲がパルプに相応しくないと感じたラッセル・シニアがバンドを脱退する。 1983年 に加入したラッセルは、ジャービスを除けば最も古いメンバーであった。

1996
マンサン 正式加入

10月に正式加入。

コールドプレイ ラムゼー・ホール

1996年 9月、 ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン (UCL)の学生だったクリスとジョニーは、学年最初の週に学生寮のラムゼー・ホール(Ramsay Hall)で知り合い、その後1年間バンド結成の計画を練った。