2000年代以降は多くのファンの声に応え日本国外でのライブ活動も行っている。2005年の アメリカ ツアーを皮切りに、度々日本国外で公演やツアーを行い成功を収めるなど、アメリカをはじめとした日本国外におけるthe pillowsの人気はメンバー自身も驚くほどに高いようである 。こうした海外での高い評価は、そのほとんどがthe pillowsがテーマソングや挿入歌を提供した ガイナックス 製作の OVA 『 フリクリ 』の海外での人気とともに得られたものである 。『 フリクリ 』は2000年から2001年にかけて放送されたもので、全6話中にthe pillowsの楽曲が20曲以上も使用されていた 。
2000年 に、最初のEP「Don’t Mess With the Time Man」を発売。2003年にギタリストのジョー・ホティンジャー、翌 2004年 にベーシストのジョシュ・スミスが加入し、現在の面子が揃う。ちなみに、ジョシュが加入するまでは、ヘイル姉弟の父親がベースを担当していたという。
バンドは、2000年にバイロンベイで開催されたEast Coast Blues & Roots Music Festivalでのパフォーマンスで、より広い評価を得始めた 。
彼らの最後のリリースは、 スティーリー・ダン の「Barrytown」のカヴァーで、『 ふたりの男とひとりの女 』のサウンドトラックに収録された。彼らは『ラインホルト・メスナーの肖像』のワールド・ツアーが続くなか、新アルバムの制作に取り掛かったが、結局2000年10月に友好的にバンドは解散した 。
その転換期にあたる 2000年 初頭、ボノが原案を手掛け、 ヴィム・ヴェンダース が監督した映画『 ミリオンダラー・ホテル 』が公開され、そのサウンドトラックも発表された。ここには、 サルマン・ラシュディ の詩をもとにした「 ザ・グラウンド・ビニース・ハー・フィート 」などU2名義の楽曲が収録されたほか、ボノがイーノやラノワらと結成した特別編成によるアンビエント色の強い楽曲も収められている。まさに、90年代に追求してきた実験路線の総決算ともいえる作品だった 。
2000年 、 プライマス の Les Claypool (ベース)、 フィッシュ の Trey Anastasio (ギター)と、 ジャム ・バンドの オイスターヘッド ( Oysterhead )を結成 。
その後はコンスタントにアルバムをリリース。 2000年 刊行のQマガジン誌が選ぶ「過去最も偉大な英国アルバムのTop100」にも選ばれるほど高評価を博した 1997年 の『ラジエイター』、トロピカル音楽やホーン・セッションを取り入れてメジャー・ヒットを記録した 1999年 の『ゲリラ』、全編 ウェールズ語 歌詞で統一された 2000年 の『ムーング』からは音楽面以外の芸術性も注目を集めた。 2001年 の『リングス・アラウンド・ザ・ワールド』では サンプリング を巧みに活用し、評価・セールス両面で大きな成功を収めた。 対テロ戦争 などの不穏な世相が反映され、これまでで最もシリアスに政治色を打ち出した 2003年 の『ファントム・パワー』と、「平和」をテーマにした 2005年 の『ラヴ・クラフト』という2つのコンセプト・アルバムを経て、 2007年 の『ヘイ・ヴィーナス!』ではパーティー要素を満載したポジティヴィティを3分ソングに凝縮したポップイズムが好評を博し各国で軒並み高成績を収めた。
2000年
2000年 にニューヨークのRoseland Ballroomで行われたコンサートでは、フィオナ・アップルが会場の音響トラブルに不平を訴えて開演早々にステージを降りたところ、批評家および観客からブーイングを浴びるという事件が起こっている 。
2000年1月、3度目の来日公演。東京・名古屋・大阪にて全4公演。同年7月、 オアシス の ダブリン 公演、また アラニス・モリセット の イスラエル 公演にそれぞれゲスト出演。10月~11月、 パール・ジャム のアメリカ・カナダツアー18公演に参加。2001年2月、南フランスの リヴィエラ でアルバム用の曲作りを開始。7月7日、 レディオヘッド のオックスフォード公演にゲスト出演。