1993年、解散を発表。
さらに、閣下のCM( フジカラー 写ルンです や ローソン など)も好評を博した。
パンク・ロック バンドとして人気を誇った KENZI&THE TRIPSの知名度もあって精力的にバンド活動を展開した第一期the pillowsであったが、一方でバンド内での音楽的なイニシアティブの相違は徐々に深まり、1993年にリーダーの上田が脱退するにいたった。第一期the pillowsは上田ケンジと山中さわおという2人の コンポーザー を有していたが 、それぞれの目指す音楽性やバンドの方向性には次第に不可逆的なズレが生じていたという 。リーダーを失ったthe pillowsは、レコード会社の移籍なども重なり、およそ一年間にわたって表立ったバンド活動が休止状態となった 。
1992年、 アニメ ビデオ『 HUMANE SOCIETY 〜人類愛に満ちた社会〜 』とそのテーマ曲「 正義のために 」を発布。
また、悪魔的な世界観に回帰し、12曲中10曲で人が死ぬ大教典『 恐怖のレストラン 』を発布。
1992年3月、7thアルバム「 DOMESTIC BOOTY 」をリリース。同年5月、森川の脱退により解散を表明。同年7月の 日清パワーステーション のライヴを最後に解散。
1992年 、Takeshi(Bass)、Wata(Guitar)、Atsuo(Vocal)、Nagata(Drum)というメンバー編成にて活動開始。
さらには、映画主題歌となった「 赤い玉の伝説 」をリリースし、ヒットを記録する。
また同年、初の海外公演として ニューヨーク 、 ロンドン 、 セビリア においてもミサを行い、うちロンドンとスペイン公演は、活動絵巻教典(いわゆるVHS,DVD)『実録!欧州非常事態宣言』に、ロンドン公演だけは大教典『 LIVE! BLACKMASS IN LONDON 』に収められている。
1991年初頭、中間がバイク事故を起こしたため活動停止。しかし、中間とバンドメンバーとの活動方針に対する意見の相違が原因で中間は脱退。中間は脱退理由について「海外へのアプローチではなく日本向けのハードロックを日本語でレコーディングする」事への違和感を理由に脱退したと述べていたが 、柴田は2017年のBURRN! JAPANのインタビューでWikipediaの当項目に「海外へのアプローチをするという約束で加入させた中間が、バンドの活動領域が日本に留まっていることに耐えかね、脱退を申し入れた」と書かれていた件に触れ「そうした認識は全くない」とし、「彼にあったのだとすると、それが彼の真実であるんでしょうけど僕は全く違う(苦笑)。僕は海外に行かないと言ったことはないですね。海外レコーディングが中止になったのは僕のせいではなく 湾岸戦争 のせいですから」と、中間の考えとは違う理由を述べている 。同年8月、森川の知り合いを通じてオーディションに参加した当時20歳の清水昭男が加入。数か月後、レコーディングのために渡英。